2019年12月03日
前回のChar、原田真二に続き、今回は「ロック御三家」の残る一組である世良公則&ツイストについてみていく。そのうえで、前回の話も含めて「ロック御三家」を男性アイドル史のなかに位置づけてみたい。
前回、原田真二が男性アイドルとしては「王子様」の系譜にあたると書いたが、一方男性アイドルのもうひとつの系譜であるワイルドな「不良」的雰囲気でファンを魅了したのが、世良公則&ツイスト(1978年末に「ツイスト」に改名)である。彼らのデビューも、原田真二に劣らず華々しいものだった。
1977年11月発売の「あんたのバラード」が、彼らのデビュー曲である。これがいきなりオリコン週間チャートでベストテンに入るヒットとなり、世良公則&ツイストは一躍注目の存在になった。
同曲は世良公則の作詞・作曲で、ヤマハポピュラーソングコンテスト、通称ポプコンにおいてグランプリを獲得した楽曲である。
1960年代の終わりに始まったポプコンは、1970年代になるとアマチュアミュージシャンの登竜門として名を馳せるようになった。1973年にグランプリを獲得した小坂明子の「あなた」のミリオンセラーヒットがあり、その後も中島みゆきの「時代」(1975年グランプリ)など多くのヒット曲、新人アーティストが生まれた。学生時代最後の思い出として出場した世良公則&ツイストも、そんな一組だった(読売新聞社文化部『この歌 この歌手(下)――運命のドラマ120』、50-51頁)。
このポプコンもまた、歌謡曲とそれ以外の新しいジャンルの音楽との橋渡しに貢献したと言える。フォーク、ロック、そしてニューミュージックなどの新しい音楽と既存の歌謡曲とのあいだにあった壁を壊していく役割を、ポプコン出身者たちは担った。それは、中島みゆきが桜田淳子「しあわせ芝居」(1977年発売)でそうしたように楽曲提供というかたちもあれば、自らテレビの歌謡番組に出演するというかたちもあった。
世良公則&ツイストは、後者の代表格であった。「あんたのバラード」の曲調も「酔いどれ男と 泣き虫女」というフレーズが出てくるように、ブルースをベースにしながらどこか歌謡曲的、さらに言うなら泥臭い演歌的なものがあった。またそれを歌い上げる世良公則の「ドスの利いた」とも形容できる迫力あるボーカルが、いっそうそう思わせた。武道の型のような独特のアクションにもテレビ向きの見栄えの良さがあった。
その意味では、彼らから漂う「不良」性もちょうどいい具合に中和されていた。むろんファンの中心は若い女性たちだったが、彼らにはより広い世代にも受け入れられる素地があった。その点、西城秀樹などに通じるものがあった。
それもあってか、ヒット曲という点では世良公則&ツイストが「ロック御三家」のなかで最も目立っていた。3枚目のシングル「銃爪(ひきがね)」(1978年発売)は、オリコン週間チャート1位になっただけでなく、人気の音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系)で10週連続1位を記録し、番組の年間1位にも輝いた。
そうした彼らの大衆性をもうひとつ象徴するのが、CMのイメージソングである。世良公則は、大学で広告専攻でもあった。
この頃、ヒット曲を生み出す手段としてCMとのタイアップが注目されるようになる。古くからのCMソングが商品名を連呼するようなものだとすれば、この時期歌われるようになったのは商品に直接言及せずにそのイメージを高めるような楽曲だった。それゆえ、歌手はその楽曲を独立した自分の持ち歌として歌うこともできた。たとえば、JALのアメリカ旅行キャンペーンのCMに使われてヒットしたサーカスの「アメリカン・フィーリング」(1979年発売)などがそうである。
ツイストの5枚目のシングル「燃えろいい女」(1979年発売)も、資生堂のサマーキャンペーン「ナツコの夏」のCMに流れた。歌のサビでシャウトする「燃えろ いい女 燃えろ ナツコ」という部分はキャンペーンのフレーズを取り込んだ詞になっているが、楽曲そのものはCMを知らなくとも成立する。まさに典型的なCMのイメージソングであった。
この曲も
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