東京・代官山に生まれた「ムラ」の50年の物語
ヒルサイドテラスはなぜ「日本の20世紀遺産20選」に選ばれたのか
前田礼 市原湖畔美術館館長代理/アートフロントギャラリー

旧山手通りに続くヒルサイドテラス。(写真提供:槇総合計画事務所)
おしゃれな街並みが人気で常に「住みたいまち」の上位に選ばれる東京・代官山。その一角に「ヒルサイドテラス」が誕生して50年がたつ。
1969年、まだ武蔵野の面影が残る住宅地に、真っ白な2棟のモダン建築(第1期A・B棟)が建ったときの衝撃は、今も多くの人の語りぐさだ。設計したのは、世界的建築家・槇文彦さん(91)。以来、代官山に代々住み続けてきた施主・朝倉家とともに、旧山手通り沿いに、じっくり時間をかけて独自の世界観をもつ「まち」をつくりあげた。店舗・オフィス・住居からなる14棟の複合建築は、まさに代官山の核と言える。
『HILLSIDE TERRACE 1969-2019』を発刊

『HILLSIDE TERRACE 1969-2019
アーバンヴィレッジ代官山のすべて
』(現代企画室刊)。監修:ヒルサイドテラス50周年実行委員会(槇文彦、朝倉健吾、北川フラム他)定価:3500円+税。表紙カバーは1973年当時の写真。本と記念展覧会のアートディレクションは大西隆介(direction Q)。
2018年、ヒルサイドテラスは世界遺産の学術諮問機関であるICOMOS日本支部により「日本の20世紀遺産20選」に選ばれた。
民間が開発した一不動産にすぎないヒルサイドテラスが「社会資本」と認められるまでになったのは、なぜなのか――。
このほど発刊された『HILLSIDE TERRACE 1969-2019 アーバンヴィレッジ代官山のすべて』(現代企画室刊)は、その問いに答えるべく、これまで主に建築についてのみ語られてきたヒルサイドテラスの「内側」で、どのような人が住み、働き、集い、どのような活動が行われてきたのかを、ヒルサイドテラスとゆかりのある各界の50人を超える人々の"証言″と、さまざまな資料によって明らかにしようと試みたものである。