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東京・代官山に生まれた「ムラ」の50年の物語

ヒルサイドテラスはなぜ「日本の20世紀遺産20選」に選ばれたのか

前田礼 コーディネーター/アートフロントギャラリー

時代のトップランナーを惹きつける"磁場″

 ヒルサイドテラスがスタートした1969年は、どんな年だったのか?

 パリの5月革命や日本の全共闘運動など世界中が若者の反乱で揺れた「1968年」と大阪万博が開催された「1970年」の狭間(はざま)だった。また、アポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功、日本のGDPが西ドイツを抜いて世界2位になり、初の「公害白書」が発表された年でもあった。

 まさしく、1970年代の前夜。「政治・思想」の時代から「ファッション・大衆文化」の時代へと変わろうとしていた。それから半世紀、ヒルサイドテラスは時代の文化の先端を担う人々を惹きつけ、東京の都市文化の一角を担っていった。

拡大樹木希林らが通った「青田美容室」の看板。
 たとえば、最初のテナントとなったフランス料理店の草分け「レンガ屋」は遠藤周作、浅利慶太など、慶應の「三田文学」ゆかりの文化人たちが集うサロンだった。その上階にあった「青田美容室」は、美空ひばりをはじめ、1970年代のテレビ界を第一線で支える人たちを常連客とした。オーナーだった青田房子さん(94)は、「寺内貫太郎一家」で老女役を演じるために髪を脱色しに通ってきた樹木希林、日本で最初の男性用美容コーナーの客となった堺正章や西条秀樹等の思い出を記している。

 当時珍しかったメゾネット住居の最初の住人となったのは、ビギを創業したばかりの菊池武夫・稲葉賀惠夫妻だった。「自分たちには予算オーバーの物件」だったが、ビギはその後ヒルサドテラス内に80人の社員を抱えるまでに成長し、日本のDCブランドブームを牽引(けんいん)する。稲葉さんは「槇さんが手がけた建物で働くことで、“本物”を目指すための感性が磨かれた」と書いている。

拡大記念展覧会場に再現されたトムスサンドイッチのコーナー。
 今年4月、平成の終わりとともに閉店した「トムスサンドイッチ」は46年にわたりヒルサイドテラスの「顔」だった。Mr.Childrenやゆずを発掘した音楽プロデューサー稲葉貢一さんも、『ブルータス』『リラックス』などの名編集長・岡本仁さんも、ユニクロのデザインディレクターや美智子上皇后の衣裳デザイナーも務める滝沢直己さんも、学生時代に背伸びして食べたサンドイッチの味と値段の衝撃について語っている。それを「いいな」と思った感性と価値観が、その後の彼らを世に出したのだろう。

 タレントの芳村真理さんは、幼い頃に遊んだ西郷山の思い出に導かれるようにヒルサイドテラスの住人になった。芥川賞作家の朝吹真理子さんは子どもの頃から通っていたヒルサイドテラスで配偶者まで見つけたとユーモラスな一文を寄せる。

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筆者

前田礼

前田礼(まえだ・れい) コーディネーター/アートフロントギャラリー

東京大学大学院総合文化研究科博士課程(フランス語圏カリブ海文学専攻)在学中より「アパルトヘイト否(ノン)!国際美術展」事務局で活動。アートフロントギャラリー勤務。クラブヒルサイド・コーディネーター。市原湖畔美術館館長代理。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「ヨーロッパ・アジア・パシフィック建築の新潮流」等の展覧会やプロジェクトに関わる。『代官山ヒルサイドテラス通信』企画編集。著書に『ヒルサイドテラス物語―朝倉家と代官山のまちづくり』(現代企画室)。

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