メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

クラシックファンを広げた3大テノールとドミンゴ

「神様からいただいた声で、皆さまを幸せにできるなら……」という思いを胸に

石戸谷結子 音楽ジャーナリスト

拡大初来日時、インタビューにこたえるプラシド・ドミンゴさん=1976年9月(筆者提供)

 

 昨今の日本のクラシック音楽界は一見すると活況を呈しているように見える。例えば11月を見れば、1カ月の間にウィーン・フィルとベルリン・フィルが相次いで来日し、他にもロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やフィラデルフィア管弦楽団などと世界一流オーケストラのコンサートが連日続いた。

 とはいえ、レコード業界の低迷は長く続いているし、海外からのオペラ団体の招聘(しょうへい)は激減している。特に2011年の大震災のあとは、6万円もするようなオペラ・チケットは売れ行きが鈍ってしまった。いまはクラシック音楽業界の凍結氷河期といえるかもしれない。

 そんなクラシック業界だが、かつては輝いていた時代があった。エンターテイメント全体から見れば、クラシックの分野など一握りに過ぎないが、それでも確かな存在感を放っていた時代があったのだ。

「音楽帝国」を築いた帝王・カラヤン

拡大ヘルベルト・フォン・カラヤン©Siegfried Lauterwasser/DG
 クラシック愛好家でなくとも、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)の名前を知っている人は少なくないだろう。もう一人、レナード・バーンスタイン(1918~1990)も、誰もが知る有名人だった。カリスマ指揮者といわれたカルロス・クライバー(1930~2004)も絶大な人気を誇った。

 彼ら3人の活動が重なるのは1960年代後半から80年代にかけて。この頃が戦後のクラシック音楽界が最も輝いていた時代だった。カラヤンは1960年代から「音楽帝国」を築き、その「帝王」になったと噂された。レコードが量産され、CDが世に出て、さらにLDやDVDも発売された。

 1970年から80年代にかけて、この3人の指揮者と同時期に活躍したのが、「3大テノール」だった。

 プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスの3大テノールが、初めて一緒に顔を合わせたのは1990年。それまで3人はライバル同士と言われ、独自に活動を続けていた。彼らは帝王カラヤンが君臨する王国における輝けるスターであり、華やかなスポットライトを浴びていた。

 年明けの2020年1月、ドミンゴが日本では最後になるかもしれないコンサートのために来日する。本稿では、「プラシド・ドミンゴはオペラ界のゴッドファーザー」に続き、稀代の名企画となった「3大テノール」について、そして初来日したときのドミンゴのことについて書きたい。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

石戸谷結子

石戸谷結子(いしとや・ゆいこ) 音楽ジャーナリスト

青森県生まれ。早稲田大学卒業。音楽専門出版社を経て、1985年からフリーランスの音楽ジャーナリスト。「モストリー・クラシック」誌、「音楽の友」誌などに執筆。NHK文化センター、西武コミュニティカレッジなどでオペラ講座を担当。主な著書に「マエストロに乾杯」「オペラ歌手はなぜモテるのか?」「オペラ入門」「ひとりでも行ける オペラ極楽ツアー」「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」など。

石戸谷結子の記事

もっと見る