石戸谷結子(いしとや・ゆいこ) 音楽ジャーナリスト
青森県生まれ。早稲田大学卒業。音楽専門出版社を経て、1985年からフリーランスの音楽ジャーナリスト。「モストリー・クラシック」誌、「音楽の友」誌などに執筆。NHK文化センター、西武コミュニティカレッジなどでオペラ講座を担当。主な著書に「マエストロに乾杯」「オペラ歌手はなぜモテるのか?」「オペラ入門」「ひとりでも行ける オペラ極楽ツアー」「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「神様からいただいた声で、皆さまを幸せにできるなら……」という思いを胸に
プラシド・ドミンゴが初来日したのは1976年9月。NHKが招聘した第8回イタリア・オペラのソリストとしてだった。このとき35歳。若手テノールとして絶好調のときで、前年にはザルツブルグ音楽祭にデビューし、「ドン・カルロ」でカラヤンと初共演。ハンブルグ歌劇場で初めて「オテロ」を歌い、クライバーとは「椿姫」のレコーディングで初共演を果たしていた。
まさに人気絶頂のときで、NHKホールでは「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」を一人で歌い絶賛を博した。音楽雑誌「音楽の友」の編集をしていた私は、ドミンゴのインタビューを企画、コメディアンでジャズ・ピアニストでもあった桜井センリ氏にインタビューアーをお願いした。
インタビューでドミンゴは「今年はすでに9つのオペラを録音し、あと4つのオペラをやる予定です」と語っている。オペラ公演の合間を縫って、なんと1年に13ものオペラ録音をこなしたことになる。「休んだら、錆びついてしまう」(彼のモットー)というワーカホリックぶりは、もう既に始まっていた。
このときの「音楽の友」の表紙はドミンゴ。また、同行した家族(マルタ夫人とプラシド・ジュニア10歳とアルバーロ7歳の二人の息子)と日本で買い物をする様子は、グラビアを飾った。大スターらしからぬ気さくな人柄だが、真面目で真摯(しんし)な人だという印象も強く受けた。
初来日のときの、のびやかな美声と溌剌(はつらつ)とした歌い方、輝かしい高音に魅せられて、日本ではドミンゴのファンが急増した。以後、メトロポリタン歌劇場やミラノ・スカラ座と共に来日して、オペラに出演。なかでも1981年の第1回ミラノ・スカラ座公演「オテロ」は、ドミンゴの来日オペラ公演中のハイライトだった。指揮はカルロス・クライバー。演出はフランコ・ゼッフィレッリ。40歳のドミンゴは、精悍で力強い、堂々たるオテロを演じた。
そのほかにも、キャスリン・バトルやミレッラ・フレーニとのコンサートや、「3大テノール」日本公演など、30回近い来日を重ねている。
「世界のオペラ界は、3大テノールの以前と以後で大きく変わりました。私たちの人生も」。そうインタビューで語っていたのは、ホセ・カレーラスだった。
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