林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト
フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
前稿では、現在フランスを揺るがし、#MeToo運動第2章の幕開けとなった仏人トップ女優による性暴力の告発劇を紹介し、同じ映画大国でMeToo運動発祥の地であるアメリカとの違いにも言及してみた。今回は、もう少し問題を身近に感じてもらうために、日本との比較を試みたい。
今回、女優アデル・エネルの告発劇を観察してみて、フランスと日本の社会で、性暴力の被害者である告発者を受け入れる姿勢に大きな違いを感じた。告発の目的という出発点は似ていても、その出口には全く違う風景が広がっている。告発者を待ち受ける環境には、雲泥の差があるようだ。
まず、エネルの告発の目的は監督に対する個人攻撃や復讐ではなかった。そもそも彼女は、性暴力の加害者が罰せられることの少ない現状の司法システムに強い不信感を持っており、裁判すら起こしていないのだ。「裁判も考えたが、女性に対して司法は暴力的。(女性が)どれだけ軽視されていることか。加害者は10人に1人しか実刑にならないのが現実」と語る(とはいえエネルの告発を受け、仏検察は捜査を開始した)。
ではなぜ、彼女は長い沈黙の歳月を経て告発に踏み切ったのか。それは同じような状況に苦しむ人々への「連帯」の気持ちと、歪んだ社会システムを変えたいという前向きな思いに押されてのものだ。
2000年代初頭にはほんの少女に過ぎなかったエネル。だが時が流れ、気がつくと女優として確固たる地位を築いていた。他方、加害者であるクリストフ・リュジア監督は仕事が順調には続かず、映画業界の中でその地位は沈む一方。世間的にも彼の名を知る人は少なくなっていた。
かくして時の流れは残酷だ。2人の立場は完全に逆転してしまった。エネルは独立系有料ネット新聞「メディアパルト」のインタビューに答え、「私にとって今、語ることは責任でもある。十分仕事があり安定している。他の大半の不安定な立場に置かれた人よりも話せる立場にある。苦しんでいる人に、1人ではないと言いたい」と発言している。
つまり今回の告発は、現在恵まれた立場を享受する人間のひとりとして、自らの「責任」であると考えるに至ったということだ。
彼女は自分が苦しんだような性暴力は、「不幸なことに凡庸な出来事」だと語る。そして、「モンスターというものは