アートの「窓」から生まれた千変万化の表現の世界
東京国立近代美術館で開催中の「窓展」で感じた「窓」を介して虚実を見る楽しみ
小川敦生 多摩美術大学芸術学科教授、美術ジャーナリスト
「額縁は窓の親戚」
「窓展」の企画を担当した同館企画課長の蔵屋美香さんによると、「数百年の昔から額縁は窓の親戚といわれ、その関係が取りざたされてきた」という。 額縁はやはり、「異界」を眺める「窓」であり続けてきたのだ。
描かれているのが外の風景ならば家の室内とはまったく異なる空間を見せてくれるし、肖像画なら時代も場所も飛び越えた人物とも対面できる。一見何が描かれているかわからないような抽象画にしても、たとえばちょっとした違和感を持つこと自体が、その空間とは異なる世界へと意識を運んでくれるものである。

アンリ・マティス《待つ》(1921〜22年、愛知県美術館蔵)展示風景
近代のフランスでは、アンリ・マティスやピエール・ボナールなどが窓を描いている。額縁という窓の中に描かれた窓は、いわゆる「画中画」(絵の中に描かれた絵)の趣だ。彼らは、窓そのものに興味を持った画家といえる。
今回の展覧会に出品されていたマティスの油彩画《待つ》には、窓際に2人の女性が立っている様子が描かれている。何の場面を描いたのかというマティスの言葉がそこにあるわけではないので、それを想像する楽しさがある。ひょっとすると、窓の外に誰かの姿が見えるのを待ちわびているのではないか。外の世界につながる窓が表しているのは希望なのか、それとも…。
外の世界を見るための格別な存在
このように、誰しも窓から外を眺める時には、何らかの動機があることが多い。例えば、やらざるを得ない膨大な量のデスクワークに疲れ果て、気分を変えたいとき。会社勤めだったころの筆者には、窓際に歩を進めたことが幾度もあった。あるいは、失恋に思い悩んで気を晴らしたいということもあったかもしれない。こう考えると、気分転換を図りたい時に窓を眺めることは結構多そうだ。
展示室を巡る中でずしんと心に刺さったのは、奈良原一高の写真作品だった。「王国」と題されたそのシリーズでは、普段は敷地から外に出ることのない修道士が暮らす修道院や、女子刑務所の囚人たちが被写体だ。そして多くの作品に、窓が写っているのである。
彼らにとっての窓は、おそらく外の世界を見るための格別な存在なのだ。 写真という「窓」を通して外からその様子を眺める我々は、そうした空間にい続けることのつらさや、「窓」があることによる救いに思いを馳せることができる。

奈良原一高「王国」シリーズ(1958年、東京国立近代美術館蔵)展示風景