メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

『もしドラ』岩崎夏海さんが語るモラハラの新定義

原辰徳はモラハラをしているのか?

井上威朗 編集者

 2019年のプロ野球もストーブリーグに突入しましたね。補強で面白いことが起きるはずもない広島カープのファンである当方は、何もすることがなくなってしまいました。

 なので本業たる編集者としての勉強もしようと、「ベストセラーがいかにして生まれ、売れていくのか」を著者に教えてもらう企画を試みることにします。

 ただし収録したのは東京ドーム、セ・リーグのCS(クライマックスシリーズ)ファイナルステージ第2戦。カープのCS進出を信じて買ったチケットを有効活用して、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(新潮文庫)作者の岩崎夏海さんをお呼びしました。

セ・リーグのクライマックスシリーズ・ファイナルステージの舞台「東京ドーム

」=撮影・筆者セ・リーグのクライマックスシリーズ・ファイナルステージの舞台「東京ドーム」=撮影・筆者

『もしドラ』刊行10年、売れ続けている理由とは?

――ということで巨人対阪神戦です。

岩崎 カープ、CSに出てこられなくて残念でしたね。

――数多く無残な体験を重ねているカープファンは切り替えも上手なので大丈夫です。今日はどちらかというと阪神を応援するイチ野球好きとして参りました。

岩崎 しかし、阪神はまったく点が入る気配もありません。応援団もチャンステーマひとつできませんね。

――うう、メルセデスが快投を披露、といえば聞こえがいいですが、どうにも塩試合のようになってしまいました。

岩崎 せっかくの球場ですし、景気のいい話をかっ飛ばしたいものですね。

岩崎夏海(いわさき・なつみ)さん 2010年岩崎夏海さん=2010年、甲子園球場

――景気とおっしゃるなら『もしドラ』ですよ。初版発行から10年を迎え、いまなお売れ続けている理由をぜひうかがいたいんですが。

岩崎 本当にありがたいことに、文庫版が今も年で万単位も売れ続けているんです。その理由として、この10年で、皆さんの強い興味や危機感が、組織作りや新しい価値観の取り入れ方に集中してきたからなのでは、という仮説を持っています。危機感に応える書籍として、『もしドラ』を読んでいただいているのでは、と。

――続編の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』(ダイヤモンド社)も、大変な痛快作ですよね。

岩崎 『もしイノ』はそれから6年後に書いたもの。われわれの社会におびただしい変化、変革が襲いかかるなかで、新しく生まれてくる価値観や問題意識を見つめねばならない、という思いが発端ですね。たとえば最近でいえば、アメリカ人の車のステイタスシンボルが、メルセデスではなくテスラに移り変わっている、とかね。

――テスラ! 注文してから納品まで、何年かかるかも分からないテスラですか!

岩崎 テスラの社長、イーロン・マスクはオタクで変わり者なことでも有名ですけれど、そうした人の会社の車がものすごく売れている。逆に対比されるのがトヨタの豊田章男社長だと思う。彼は非常におぼっちゃんながら、人間的にも「いい人」。

テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)

いい「構え」をしているビル・ゲイツ。こいつは本物だ

――豊田社長はいい人ですよね。最近も「ガソリン臭くて音がいっぱい出る、野性味あふれるクルマが好き」「心の底では、クルマってのはそういうもんだと思ってるんですよ」と語ったことが話題になりましたし。

岩崎 ですが、そんなトヨタが大丈夫かっていうと、厳しい局面に立たされているのも事実。つまるところ、日本型の「いい人が社会を回す」という考え方に対して、「完全に良い製品が社会を回す」という、ドラスティックな世の中に移行しつつあるのかなと思えますね。

――そうした世の移り変わりに対応するにはどうしたらいいですか。

岩崎 ずばり本、書籍です。知識を得るために最適な習慣として、本以上のものはないですね。たとえばビル・ゲイツは財団を設立し、投資家のウォーレン・バフェットと共に世界の諸問題を解決するという取り組みをしていますよね。彼がどのように「諸問題」を考えるのかというと、本を何十冊も抱えて、2週間ほど山小屋に篭もるのだと。

――山籠もりのなかで書籍の中身を全部インプットして、新しいソリューションを考える、といわれていますね。

岩崎 それは合理的なことだと思うんですよ。一流の叙述者が書いた本って、その人が一生をかけて調べあげた知識や概念、考え方みたいなものを、読者は2~3時間でパッと剽窃できてしまうシステムです。お代は高くても3000円ぐらい。こんなに贅沢な話ってないですよ。ビル・ゲイツは、世界で一番忙しい男といわれていますけど、それでも本を読みつづけているのは、読書こそ一番効率がいい習慣、と考えているからでしょう。

ビル・ゲイツ氏山小屋に篭もって大量の本を読むというビル・ゲイツ氏

――彼の場合は、ひとつの書籍で知識を得て終わらせず、社会全体への包括的な問いやまなざしを得る、ということがスタート地点。

岩崎 ゲイツは知識そのものをアップデートするのみならず、イノベーションを起こす立場ですからね。単なる技術を知ればいいだけじゃなくて、社会のことも知らなくてはならない。そういうことも含めて、山籠もりの習慣があるんでしょうね。

――最高にスマートな話題の途中なんですが、ああー! 岩崎さん、われわれが会話にお籠もりしている間に亀井義行に走られまくってダブルスチール、岡本和真はタイムリーで5点目をあげていますよ。

岩崎 おや、どうもガルシア投手は……。

――岩崎さん、ビールもう1杯ぐらいどうですか。ああ、これは継投まったなしですな。

岩崎 これはどうも。野球の現場だから思うのかもしれないですけど、僕ね、人間を見るとき、その人の「構え」ってものを見るんですよ。

――ビル・ゲイツの「構え」、ですか。

岩崎 そうそう。こいつ打ちそうだなとか、こいつ抑えそうだなとか、非常にフラットなスタンスで落ち着き払ってやっているなあ、とか。こうして構えという観点からビル・ゲイツを眺めると、彼はもはや、成果をあげることがそんなに目的じゃなさそうに見える。むしろ知的好奇心でやってるんじゃないか。

――「こいつ……野球を楽しんでやがる」みたいなことですか。

岩崎 そんな感じ。ビル・ゲイツはいまや、イノベーション自体を楽しんでいるんですよね。実はあんまり責任を負っていないというか。言ってしまえば、自分とバフェットの金の運用ですからね。

――自分らが稼いで持ってきた金なのだから、どう使おうと文句はないだろと。

岩崎 そうそう。そんななかですごくいい「構え」をしているので、こいつは本物だな、というのは思いましたね。

――その見立ては面白いです。逆に言うと、たぶん岩崎さんは、ペテン師のような人間にうんと遭遇してきているでしょうから、そういう輩と比べると、明らかに違うであろう佇まいがあるんでしょうね。

岩崎 僕ね、まったく騙されなかったわけじゃないですけど、だいたい騙されない率は高いかなとは思います。よく言うのは、偽物を見抜く目を大事にしている、というか。

――おおー、岩崎夏海の「偽物論」。聴きたいですね。

岩崎 固有名詞は避けますが、自分とやり合ったことのある言論人で、これは没落するなっていう人はわかります。そして、だいたいその通りになっていますね。

――構えで思うのですね。

岩崎 はい。何が良くない構えなのかといえば、そういう人たちが本質に行こうとしていないからなんですね。

――どういうことですか。

岩崎 そこに「モラハラ」っていうキーワードを挙げたい。

ノムさんも星野仙一さんもモラハラ……

――モラハラ。モラル・ハラスメントですね。

岩崎 そう。まずはこの定義について話したいんですが。フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌの書いたその名も『モラル・ハラスメント――人を傷つけずにはいられない』(紀伊国屋書店)っていう書籍によると、現在多くの日本人は「モラハラ」という定義を勘違いしていることが分かります。

――精神的虐待みたいな意味ではないんですか。

岩崎 違うんです。「なんであなたは何々しないの?」と問い詰めたり、「あなたは何々すべきよ」と言うことなどが、モラル・ハラスメントなのです。

――正しさを振りかざして、指導することの害悪ですか。

岩崎 そうです。つまりネットで言われる「ポリコレ棒」というのは、モラル・ハラスメントそのものなんです。そういう形で、親から厳しい指導を受けた人は、本質に近づこうとしなくなる。そして甚大な問題を起こすっていうのが現在なのですね。秋葉原連続殺傷事件の加藤智大死刑囚がその例です。

――彼はきわめて厳しいしつけを受けて育ったと報じられていますね。

岩崎 彼に限らず、社会問題を起こす人はモラハラの被害者といって差し支えないでしょうね。

高校時代は軟式野球部でピッチャーだった岩崎さん。「程高」の練習グラウンドのモデルはここ=日野市の程久保運動広場20100年高校時代は軟式野球部でピッチャーだった岩崎夏海さん=2010年

――じゃあ、あれですか。昭和野球的な指導もモラル・ハラスメントなんですかね。

岩崎 いやここが厳しいんですけど、殴ったりするのは誰が見てもアウトだって分かるじゃないですか。それはモラハラじゃないですよ。

――そうなんですね。ただの暴力っていえば、暴力だから。

岩崎 そうですね。かつての広岡野球がモラル・ハラスメントです。

――分かりやすいですね。選手にタブーを大量に用意して、それに抵触する者はもう使わない。

岩崎 そうですね。ノムさん(野村克也)も、モラハラに近いですね。「なんだ、お前そんなことも知らんのか!」

――ずっと、説教しますものね。

岩崎 「そんなことも、考えられんのか!」とか、まさにモラハラですね。あとはね、意外なところで星野(仙一)さんなんかもモラハラしている部分あるのですよ。

――ゲンコツ的なイメージの方が強いですが、モラハラも……。

岩崎 「お前、それでも男か?」っていうのはモラハラなんですよ。

――そこに威力、暴力もついてくるんだから、ハラスメントの宝石箱や。しかしですよ、野球の指導者というキャラクターは、それぐらいでよい的な風潮がありますよね。フィジカルで熱血漢であるか、理屈が伴うメンタル型か。どちらにせよハラスメントに抵触しそうなものですが、何かを細かく指導しているテイに可視化できるせいでしょうか。

デイリースポーツ代表撮影この人は何を言ってもモラハラにならない?=デイリースポーツ代表撮影

岩崎 そこにいくと、今まさに結果を出している原辰徳にはモラハラの要素がないですね。

――なさそうだ。つまり……。

岩崎 自分のモラルが破綻しているからね(笑)。「問題発言するな」と戒めたところで、「お前が言うなよ」みたいな。ハラスメントしようがない。 (つづく)

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。