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挽歌に封印された古代文字の謎 その1

【6】「石狩挽歌」「小樽のひとよ」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

場所:小樽/余市
昭和50年(1975)「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介、唄・北原ミレイ)
昭和42年(1967)「小樽のひとよ」(作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ)

「石狩挽歌」は謎だらけ

拡大「ニシン御殿」と呼ばれた旧花田家番屋。現在は国の重要文化財に指定されている。=北海道小平町鬼鹿広富

 いうまでもないが、歌謡曲は大衆の大衆による大衆のための唄である。したがって普通の暮らしぶりの人々の関心事がテーマに選ばれる。大衆のほとんどが知らない、聞いたこともない事象が歌詞にされることはまずない。仮に歌詞にされても支持されヒット曲となることはない。これが流行歌の「公理」である。

拡大北原ミレイ「石狩挽歌」 作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介
 しかし、ごくたまに、いやごくごく稀れに、この「公理」を覆して大衆の琴線をふるわせる唄が生まれる。これぞ流行歌のもつ美しきパラドックス効果だと思うのだが、私の知る限りその代表格は、「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介、昭和50年(1975))であろう。

 最初にこの曲を聴いたとき歌詞を半分でも理解した人はどれほどいただろうか。以下に歌詞の一部を掲げるので、初めてこの唄を聴いたときに立ち返って、いま一度、読み直し、いや歌い直していただこう。

1番 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると/赤い筒袖(つっぽ)のやん衆がさわぐ(略)破れた網は問い刺し網か/今じゃ浜辺でオンボロロ(略)沖を通るは 笠戸丸(かさどまる)
2番 燃えろ篝火(かがりび) 朝里(あさり)の浜に(略)オタモイ岬の ニシン御殿も 今じゃさびれてオンボロロ(略)かわらぬものは 古代文字/わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る

ニシン御殿伝説は忘却の彼方だったが

 私もそうだったが、おそらく読者も、歌詞を確認して、ニシン漁師たちの間で海猫が「ごめ」と呼ばれていたこと、「つっぽ」とは漁師たちが羽織る筒袖の刺子半纏のようなものらしい、と知ったのではなかろうか。それにしても、これほどジャーゴン(業界用語)がちりばめられた唄はない。

拡大1946年撮影のニシン漁。この頃、北海道のニシン漁獲高は30万トンほどだったが、1990年代以降は毎年2000~3000トン程度で推移している。

 ジャーゴンといえば、高倉健の「網走番外地」(昭和41年、作詞:タカオ・カンベ、作曲者不詳)の「♪きすひけ、きすひけ」(渡世人用語で「酒を飲むこと」)、三橋美智也の「おんな船頭唄」(昭和30年、作詞・藤間哲郎、作曲・山口俊郎)の「♪おもいだすさえ、ざんざらまこも」(利根川下流・潮来地方の言葉で「風でざわつく真菰」)が思い浮かぶが、その2曲ですら、「きす」と「ざんざらまこも」以外は〝普通人が耳で聞いて理解できる歌詞〟である。

 ところが「石狩挽歌」ときたら、「ごめ」「つっぽ」に加えて「やんしゅ」「といさしあみ」「かさどまる」「おたもいみさき」「こだいもじ」そして謎の呪文「オンボロロ」。耳で聞くかぎりはまるで「判じ物」である。

 しかも、バブルを前にした時代のわれら「一般大衆」にとって「ニシン御殿伝説」は遥か忘却の彼方にあった。これほど時空を超えた異界の物語にもかかわらず、大ヒットしたのはなぜか。それは作詞家なかにし礼の物語を紡ぎ出す創造力と想像力の合作の賜物だろう。

 意味不明のジャーゴンが次々と繰り出される中で、不遇だが気丈な女性の生き様が浮かびあがってくる。背景に流れる言葉が意味不明であればあるほど、ヒロインの立ち姿がいっそう鮮明になる。かつて安井かずみらと〝軟派〟な詞を量産していた同じ男の詞なのかと(〝軟派〟な詞はそれはそれでいずれも素晴らしい出来なのだが)、正直いって驚かされたものだった。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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