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挽歌に封印された古代文字の謎 その1

【6】「石狩挽歌」「小樽のひとよ」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

日本歌詞大賞を受賞

 さらに、たんなる想像力の産物ではなかったことが、この唄をいっそう魅力的にしている。なかにし礼は、自伝的小説『兄弟』(文藝春秋、1998年)で描いた兄との私小説的相克を下敷きにしているが、そのままでは伝わらないので作劇的工夫をこらした、と由紀さおりとの対談でも語っている(「ミュージック・ポートレイト」NHKオンライン、2013.4.19)。リアルな物語に裏書きされていたのである。

 また、歌い手もよかった。この楽曲は八代亜紀、森昌子、石川さゆりなど複数の歌手に提供されたが、北原ミレイの捨てばちな歌いぶりが歌詞にはぴったりだった。これがこの唄をさらに魅力的にしたことは間違いなかろう。

拡大北原ミレイ(1976年撮影)

 文芸にたとえれば、本来直木賞の大衆小説ジャンルへ芥川賞の私小説が持ち込まれたような衝撃的事件で、音楽業界がその年の「日本歌詞大賞」を授与したのは当然であった。

 「石狩挽歌」のヒットの理由についてはこれぐらいにして、そろそろ本稿の通しテーマである「歌枕」に論を進めよう。その中でこの唄のたぐい稀れな魅力もさらに明らかになることだろう。

正体不明の「古代文字」

 さて、「石狩挽歌」の舞台となったのは、歌詞の2番にある「朝里の浜」である。小樽の中心市街から東寄り、石狩湾に面した夏は海水浴で賑わう温泉保養地だが、かつてはニシン漁で栄え、なかにしの家もそうだったが、〝一網千両〟で成り上がった御殿が立ち並んでいた。したがって、普通ならここを「歌枕」とするのが妥当だろうが、私としてはこの唄にある正体不明ジャーゴンの一つである「古代文字」をとりたい。

 それは、「かわらぬものは古代文字」がこの唄の「結語」にされているからである。「古代文字」は「ごめ」にはじまる強烈で個性的なジャーゴンに比べると耳への響きは至って地味で聞き流してしまいそうだが、追究していくほどに、そこに込められているメタファーとメッセージは奥深い。

拡大手宮洞窟の「古代文字」の模写図。実物は岩肌に刻まれている
 ここで「古代文字」の解説を簡単にしておくと、明治維新の2年前の慶応2年(1866)、ニシン番屋の建設にきていた神奈川の石工が、たまたま石を探しに小樽の手宮地区にある洞窟にきたところ、文字のようなものが刻まれているのを発見。その後、明治中期、イギリスの高名な地質学者が学術調査に訪れて権威ある学会誌に取り上げたことから、世界中に反響を呼んだものである。この歴史的大発見には紆余曲折の物語が続くのだが、それについてはおいおい述べる。

「小樽のひとよ」の歌詞にも古代文字

拡大鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽のひとよ」作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義
 実は「石狩挽歌」の前に、この「古代文字」を歌詞によんだ唄があった。それは昭和42年(1967)9月に発売された「小樽のひとよ」(作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ)である。累計売上は150万枚を超え、この曲で東京ロマンチカは昭和43年(1968)の紅白に出場している。「古代文字」にかかわる一部を以下に掲げる。

1番 逢いたい気持ちが ままならぬ/北国の町は つめたく遠い/粉雪まいちる 小樽の駅に(以下略)
2番 二人で歩いた 塩谷(しおや)の浜辺/偲(しの)べば懐かし 古代の文字よ(以下略)

 この2番の歌詞を耳にしたとき、私は違和感をもった。1番の歌詞がかもしだすいかにも鶴岡正義と東京ロマンチカらしいムード歌謡には、なんとなくそぐわないからだ。調べているうちに事情がわかった。当時テイチクの東京ロマンチカのディレクターで、後に石原裕次郎のアシスタントディレクターになる高柳六郎が

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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