井上威朗(いのうえ・たけお) 編集者
1971年生まれ。講談社で漫画雑誌、Web雑誌、選書、ノンフィクション書籍などの編集を経て、現在は科学書を担当。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
『栗山ノート』の栗山監督は、矛盾を内包させた人
――前回は、プロ野球の監督の「モラハラ」についてうかがいましたけど、持っていた「モラハラ」という語の印象がガラリと変わりました。
岩崎 でしょう。日本人の多くの人は、「モラルが破綻している人が、モラル・ハラスメントをするのだ」って勘違いしているんですよ。
――それでいて成績を残す原野球。個人的には悔しくもありますなあ。ああ岩崎さん、さんざん塩試合と言ってきましたけど、今度は梅野が悪送球を……。
岩崎 完全にワンサイドゲームになってきちゃいましたね。
――ではこちらの話もひとつのサイドに。人間はモラハラをされるとどうなるのですか。
岩崎 僕は二極化すると思っています。
――モラハラ被害者の二極化。どんなタイプに化けるんでしょう?
岩崎 片方は「屈辱を味わってバネにする」タイプ。もう一方は、「屈辱をなかったことにして中身を空っぽにする」タイプ。今テレビに出ている人でも、中が真空な人はいますよね。ただの真空ですから、一見、悪い人には見えないですよ。
――中身が真空、ってことは、悪意を持っていないということですかね。
岩崎 そう。悪意がないし、社会の常識に疑いを持っていない。そもそも中が空っぽってことは自分の欲動がない、ということでもありますからね。世間に合わせることができるというわけ。その対極にあるのがホリエモン。彼はどこまでいっても、世間に自分を合わせていくことはできないでしょう。
――なるほど。一方、世間に迎合することを突き進めた存在として、ネット上にあらわれる正義ポリスなどが思い出されますな。
岩崎 言ってしまえば正義ポリスの人たちも、みんなモラハラの被害者なんですよね。彼らはおそらく、日常からポリティカル・コレクトネスの棒で殴られすぎたあまり、逆転して、ポリコレ棒で殴る側にまわってしまったんだと思うんです。なぜそんな転身ができるのかといえば、中身が空っぽだから、なんですよ。