『栗山ノート』の栗山監督は、矛盾を内包させた人
2019年12月11日
――前回は、プロ野球の監督の「モラハラ」についてうかがいましたけど、持っていた「モラハラ」という語の印象がガラリと変わりました。
岩崎 でしょう。日本人の多くの人は、「モラルが破綻している人が、モラル・ハラスメントをするのだ」って勘違いしているんですよ。
――それでいて成績を残す原野球。個人的には悔しくもありますなあ。ああ岩崎さん、さんざん塩試合と言ってきましたけど、今度は梅野が悪送球を……。
岩崎 完全にワンサイドゲームになってきちゃいましたね。
――ではこちらの話もひとつのサイドに。人間はモラハラをされるとどうなるのですか。
岩崎 僕は二極化すると思っています。
――モラハラ被害者の二極化。どんなタイプに化けるんでしょう?
岩崎 片方は「屈辱を味わってバネにする」タイプ。もう一方は、「屈辱をなかったことにして中身を空っぽにする」タイプ。今テレビに出ている人でも、中が真空な人はいますよね。ただの真空ですから、一見、悪い人には見えないですよ。
――中身が真空、ってことは、悪意を持っていないということですかね。
岩崎 そう。悪意がないし、社会の常識に疑いを持っていない。そもそも中が空っぽってことは自分の欲動がない、ということでもありますからね。世間に合わせることができるというわけ。その対極にあるのがホリエモン。彼はどこまでいっても、世間に自分を合わせていくことはできないでしょう。
――なるほど。一方、世間に迎合することを突き進めた存在として、ネット上にあらわれる正義ポリスなどが思い出されますな。
岩崎 言ってしまえば正義ポリスの人たちも、みんなモラハラの被害者なんですよね。彼らはおそらく、日常からポリティカル・コレクトネスの棒で殴られすぎたあまり、逆転して、ポリコレ棒で殴る側にまわってしまったんだと思うんです。なぜそんな転身ができるのかといえば、中身が空っぽだから、なんですよ。
――こうやってうかがっていると、モラハラ被害者として、怨嗟をつのらせる恐ろしさも、精神が空疎化する恐ろしさも、どちらの二極ともとりたくないものですね。
岩崎 ですよね。実はね井上さん、『もしドラ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』新潮文庫)の主人公・川島みなみもモラハラの被害者なんですよ。
――そうだったんですか。
――親としてはモラハラの自覚もなく、「全力で応援してるのに」と無邪気なのでしょうね。
岩崎 無邪気が正解とは限らない。やっぱり親なら、「女性はルールとして甲子園に出られない」みたいなことを、早い時点でちゃんと言うべきだったんですよ。それなのに建前であろう「夢を持つのはいいことだ」とか「子どもの夢を壊したくない」とかを突き通したことがまさに、モラハラなんです。
――親父としての自分もなかなか胸の痛い話題ですなあ。よかれと思ってやりがちなのが、モラハラなのかもしれません。まさにダークサイド・オブ・フォース。
岩崎 よくあろうとするのであれば親も、もっとフラットに現実的に接する必要がある。最近だと多くの人が、「怒ると叱るは違う」とか「怒るのは悪いが、叱るのはいい」と捉えるでしょう。でもね、僕が思うに、逆なんですよ。叱るっていうのは、モラハラそのものなので。
――おっしゃる通りだ。叱るというのは善導、何かに導いちゃうことですから。叱られる側の主体を軽んじたことになる。
岩崎 そうです。だから叱ったらだめ。怒ったほうがいいに決まってるんです。
――叱る、の悪い例でいうと、「勉強しないと、どうなるか分かってるか!」というような追い込みですよね。
岩崎 「いたずらしてもいいとでも思ってるの?」みたいな。
――「何を考えて、あなたはそういうことをするの!」も、そうですな。
岩崎 こうした叱り方を進めた結果、子どもが病んでいくと思うんです。
――なるほど、叱るというのは、本人自身に気づいてほしいと思うことを、持って回ったモラルを振りかざして追い込む行為なのかもしれませんね。
岩崎 そうなんです。叱りで追い込まれつづけた子どもは、やがて空っぽになる。空っぽになると、やがて自分もモラハラをするようになる。まさに負の連鎖。無意識のうちに相手を追い込んでしまうんです。やがて結婚相手や子どもにもモラハラしてしまうので、伝染病みたいに広がっていく。怖いですよ。誰かが止めなきゃいけないですよね。
――と、いうことは……『もしドラ』は、モラハラの連鎖を断ち切ろうとする話だったんでしょうか。
岩崎 そうです(あっさり)。
――それは泣ける話ですね。実は自分もモラハラ被害者であった、と気付かれた方が『もしドラ』『もしイノ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』ダイヤモンド社)を読むのなら、一発逆転のとっかかりとなる知恵を得られそうですね。
岩崎 『もしドラ』と『もしイノ』には、アンチモラハラっていうテーマがあった。繰り返しますが、今の世の中で一番大きなテーマは、「モラハラに対する抵抗」だと、僕はそう思う。日本の政治も教育も全部、そこからの脱却が肝要だと思っている。
――モラハラってつまるところ、「おまえのためを思って言ってやってるんだ」的な論法ですよね。岩崎さん、それずっと大嫌いだし、書籍のなかでもアンチを隠さないですもんね。
岩崎 「おまえのために」をやられると、人は独立心を阻害されますからね……。ああ、本当に僕は、社会正義とか社会規範などという、ありそうで実際はないまぼろしみたいなものに縛られる人びとや、そのこと自体をあほらしく思ってるんです。感情も理性も尊重しながら、いい意味で「よく分からん」ぐらいの着地を目指して、モラハラの連鎖を断ち切ってやりたい。
――だからこそ、『もしドラ』のクライマックス近くで、みなみの感情が暴発し、いろいろと台なしになる。
岩崎 でもね、最終的にはその暴発によってみんなが正常な心を取り戻すことができ、勝利に導くことができたでしょう。つまり『もしドラ』は、ドラッカーの『マネジメント』を肯定してるようでありながら、実は否定しているという構造なんです。
――それでも物語としての矛盾にはならなかった。すごいことです。
岩崎 実はですねえ、ドラッカーの『マネジメント』って、よく読むと矛盾だらけなんですよ。だから鋭い人が読むと、「このドラッカーという人は、書籍を通じて論理的なことを言おうとしているのではないのだな」っていうことに勘付いたりもする。
――『マネジメント』は論理的ではない! そうだったんですか。
岩崎 そうです。むしろ、なにかある種の雰囲気や情け、頃合いというフンワリしたものを伝えようとしているんです。著者本人が、書いたはしからそれを否定する箇所などいくつもありますからね。「わざと矛盾させている」というところですね。
――それは、わざとやってますね。真面目に読んだ人は混乱しちゃいますね。
岩崎 いやほんとですよ。たとえばね、ドラッカーが言っていて面白いのは「組織には真摯なマネジメントを阻害する3つの敵がいる」というくだりです。3位は上司、2位は部下、1位は顧客、と順位づけるんですが……。
――そんな! 上司も部下も顧客も信用できないんなら、周りすべてが敵だらけじゃないですか(涙)。読者のそうした動揺も、ドラッカーには織り込み済みなんですね。パートごとには良いことを言っていても、通読するとそれぞれがパンクしちゃうというか、矛盾が生じるように設計されているんですな。
岩崎 ドラッカーは「矛盾こそが真なり」ってことを言いたいんですよ。彼はね、合理的であることがベストとは考えていない。なんというか、だましだましのボチボチっていう頃合いが、彼はベストだと思っている。そうでないと、たいていの物事はうまく回らないんだと。
――たしかに、あまりにも完璧にうまくいきそうな絵図って、ひどく重大な危険性を孕んでいそうですものね。
岩崎 その昔、関根潤三が開き直って、『一勝二敗の勝者論』って本を書いたのを思い出してしまいました。
――勝者、と言い切りながらも1勝2敗(笑)。野球書籍といえば、今年のベストセラーに栗山英樹の『栗山ノート』(光文社)がありましたけれども、栗山はもうちょ~っと勝ったうえで語ってますもんね(笑)
岩崎 栗山監督は、矛盾を内包させた人ですからね……。日ハム自体に矛盾を抱える選手が多いこともあると思うんですけど。
──一方で関根潤三って、弱い球団の監督ばかり歴任してましたね。
岩崎 負け続けたけど最後は勝った、という人ならイイ話になるんでしょうけど、関根潤三って大洋とかヤクルトとかで……。
――チームを強化してないですよね。
岩崎 昔、僕は大洋が好きだったので、関根潤三が本当に腹立たしかったですね。人望は厚かっただろうからこそ監督業を渡り歩けたのでしょうけれども。
――たしかに、関根さんに感謝しているとおっしゃる、現指導者の人はかなりいますよね。
岩崎 それこそドラッカーじゃないですけど、その指導者さんたちは、ボチボチがいいよ、ということを教わったんじゃないですかねえ。
――顧客である球団ファンからするとたまったもんじゃないですけどね。……そうか、関根潤三は非常にドラッカー的だったのかもしれない!
岩崎 なにしろ『一勝二敗の勝者論』(笑)
――勝ってないじゃないですか。ずっと負け越してるじゃないですか(笑)
岩崎 でも長生きなさってますからね。人生の勝者といえるのかも。そこも含めて関根潤三はドラッカー的だと思いますよ。
――ところでわれわれ、せっかく東京ドームにいますから、桑田真澄などはどうですかね。
岩崎 僕が思うに、桑田というのは哲学者ですね。投げるソクラテス、という言葉が野球選手で一番当てはまるのが桑田真澄という人間だと思う。指導者としての大成は難しいでしょうが、子どもに読ませる野球哲学のような、宗教書のようなものを作ってもらいたいですね。本当に、僕が書きたいぐらいですけれど。
――桑田真澄が主人公のバイブルを、岩崎夏海の著作として!
岩崎 桑田の人生において起こる細かなエピソードを起こすんですよ。たとえば、ある日球場に行ったらこんなことがあった、そのとき桑田さんはこういうふうに言われた、皆はこうしなさい、みたいな。
――『ツァラトゥストラはかく語りき』スタイルですね。印象的な出来事を集めておいて、あとは面白い、気の利いたセリフを入れたらばっちりですね。
岩崎 第何節、第何条とか書いてあるやつね。桑田という人の話し方というのは本当に哲学めいてるんです。プレス泣かせではあるんですが、頭のいい人特有の回路なんでしょう。「出てくる言葉以上のつながりが、頭のなかで起きているな」と、分かるんです。
――下々の者としては、その端っこの言葉を拾い集めて、桑田の脳からの授かりものを探りたいものです。これはいい企画をありがとうございました。ところで岩崎さん、目の前の試合というやつなのですが……。
岩崎 阪神、3安打で試合終了。これほど静かな虎というのもシーズンを総括するようで。
――こちらのお話も大団円。ということで、新たなるビール酒場をもとめて、われわれも水道橋を行きましょうかね。ありがとうございました。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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