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1.「ピーター・ドイグ展」(東京国立近代美術館)
2.「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展(東京都現代美術館)
3.「横浜トリエンナーレ2020」(横浜美術館ほか)
4.「性差(ジェンダー)の日本史」展(国立歴史民俗博物館)
5.「式場隆三郎 腦室反射鏡」展(練馬区立美術館ほか)

次点:「ハマスホイとデンマーク絵画」展(東京都美術館ほか)、「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」(森美術館)、「宮島達男 クロニクル 1995-2020」展(千葉市美術館)
話題:コロナ禍を契機とした展覧会の変容とアーティゾン美術館の開館

 今年の展覧会はコロナ禍で大きな影響を受けた。2月末からほとんどの美術館・博物館が突然閉じてしまい、6月上旬まで3カ月以上休館になったからだ。

中止になった展覧会のチケット拡大新型コロナウイルスの感染で中止、延期になった展覧会のチケット 撮影・筆者
 その結果、「ハマスホイとデンマーク絵画」展(東京都美術館)のように会期半ばで突然閉じてしまった展覧会(その後、山口県立美術館に巡回)もあれば、「法隆寺金堂壁画と百済観音」展(東京国立博物館)のように完全に中止になってしまった展覧会もある。また「佐藤可士和展」(国立新美術館)などは来年に、「和食~日本の自然、人々の知恵~」展(国立科学博物館)は2023年に延期(予定)になった。

 私が今年一番楽しみにしていたのは「ピーター・ドイグ展」と「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展だったが、前者は2月に開けてすぐに閉じてしまい、後者は3月に開幕しなかった。結局、ともに会期を延長して6月から9~10月まで無事開かれた。

 「ピーター・ドイグ展」は、改めて絵画を見る楽しさを認識させた点ですばらしかった。多くは、静かな風景の中でたたずむ孤独な人間を描いている。ヴィルヘルム・ハマスホイやエドワード・ホッパーのような、ちょっと不穏な気配が漂う。

 景色は感情に歪められたものが多く、ゴーガンやゴッホやムンクを思わせる絵もあるが、どれも深い物語性にうっとりと見入ってしまう。現代美術はおよそ「物語」というものを否定する作品が多いが、彼の絵では個人の小さな心のドラマが濃厚に記されている。都会を離れてほとんど人影のない場所で1人で考えに耽る快楽のようなものが、画面から伝わってくる。

ピーター・ドイグ《カヌー=湖》拡大ピーター・ドイグ《カヌー=湖》=東京国立近代美術館 撮影・筆者

 2メートル×3メートルくらいの大きな絵が多いが、会場は大きな2部屋を細かく仕切らずに使い、かつその2つに2カ所通路があって行き来を自由にした構成だった。観客一人一人の気分に従って動くことのできる雰囲気があった。後半の狭い通路に並ぶさまざまな映画にインスピレーションを受けた手書きポスターのような作品も楽しかった。『羅生門』や『HANA-BI』のような日本映画もあったが、どれも通好みの作品ばかり。


筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。著書に『美術展の不都合な真実』(新潮新書)、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』(集英社新書)、訳書に『魔術師メリエス──映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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