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『いだてん』田畑政治、五輪の後は

大河ドラマ主人公の歩みをたどる最終回。「記録」と「歴史」を考えた

前田浩次 朝日新聞 社史編修センター長

東京五輪が終わった後で

いだてん89歳になった金栗四三=1980年8月21日、熊本県玉名市の自宅
 NHK大河ドラマ『いだてん』は、主人公の最期までは描かなかった。

 金栗四三は、1967年(昭和42)にストックホルム五輪から55年後の記念式典に参加し、競技場を走ってマラソンのゴールテープを切ったエピソードが紹介された。田畑政治は、水泳プールで選手たちを指導しているところで終わった。

 田畑の五輪後の主な足跡は、前回紹介した「感無量」の寄稿の最後に自身が書いているように、水泳指導と、そして中国の五輪復帰に尽力したことだ。

 今年2019年(令和元)8月31日、朝日新聞は田畑の故郷・浜松市との共催で「トークショー 水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」を東京・イイノホールで開いた。

 青木剛・日本水泳連盟会長が、田畑の水泳界での功績を戦前の足跡から紹介。そして東京五輪の不振から、田畑が「強化には屋内プールが必要だ」と、東京スイミングセンターの設立を働きかけたことが、今日の日本水泳に繫がっていると力説した。

 センターは1968年(昭和43)6月に東京・駒込に誕生。2004年(平成16)のアテネ五輪で、北島康介と、このトークショーで青木と対談した中村礼子が同センターから出た初のメダリストとなる。

いだてん「水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」で語る日本水泳連盟の青木剛会長
いだてん「水泳ニッポンを築いた男 田畑政治」で語る中村礼子さん

 中国について田畑は、聖火リレーのコースとしても考えていたように、ずっと国際競技への復帰を願っていた。自らの従軍経験や、戦後のインドネシアやフィリピンで、日本兵への激しい憎悪を体験したことがベースにあっただろう。

いだてん1979年名古屋で開かれた国際オリンピック協会理事会で中国の五輪復帰が決まった。キラニンIOC会長(左)と握手する中国の宋中団長
 1966年(昭和41)6~7月に田畑は日本スポーツ使節団の一員として中国を訪問した。アジア大会と新興国競技大会を一本化できないか、スポーツ交流を推進できないか、という目的だった。

 その後1973年(昭和48)4月、田畑は日本オリンピック委員会の委員長となる。中国の国際舞台復帰実現を主な仕事にかかげ、その足がかりを築いて1977年(昭和52)に辞任した。

朝日新聞社が表彰、そしてなぜか忘れられた

いだてん朝日賞を受けた田畑政治。「私からオリンピックを取り除くことは出来ない」と話していた=1979年12月撮影

 朝日新聞社は1929年(昭和4)以来、文化全般にわたって第一級の業績を顕彰する「朝日賞」を贈っている。

 1980年(昭和55)元日の新聞で、昭和54年度の朝日賞を贈る3人のうちの1人に田畑政治を選んだことを発表した。

 「長年にわたる日本水泳界への貢献とオリンピック運動推進の功績」だ。水泳、東京五輪はもちろんのこと、JOC委員長として中国の五輪復帰に尽力したことも評価されている。

 朝日新聞の元記者・元役員だが、それはまったく関係なく選考されている。記事や社内報などには記録がないが、朝日新聞記者OBの宮本義忠が『人間 田畑政治』の中で、広岡知男・朝日新聞社会長が受賞パーティーで語った言葉を紹介している。

 「田畑さんには、もっとはやく朝日賞を贈らねばと思っていましたが、朝日の出身なので遠慮していました」

 1984年(昭和59)8月25日、田畑政治は死去する。翌26日、朝日新聞は第1面にその訃報を、そしてスポーツ面に清川正二IOC委員の談話、第1社会面に古橋広之進らの談話を載せた。

 東京五輪、そしてその後のスポーツ界でも大きな存在感があった田畑政治だが、没後は、なぜか「忘れられた存在」になっていった。

 2017年4月、NHKが19年大河ドラマ『いだてん』の制作を発表した時、世間一般だけでなく、朝日新聞のほとんどの社員たちの反応も「田畑政治って誰?」だった。

 社史編修センターでも早速記録を探したが、公刊した『社史』本や新聞社を紹介するパンフレット類には、田畑の水泳界での業績が記されていない。

 もちろん、これまで連載で報告してきたように、田畑の水泳活動は社とは関係ないものだった。社史や社の活動を紹介するパンフには収録すべきではない、という編集判断をしたとしてもおかしくはない。

 ただ、その結果、朝日新聞社にこんな人物がいたという幅広い伝承は途絶えていた。「この人も朝日の社員だった」と社内外に繰り返し繰り返し紹介されるのは、夏目漱石、二葉亭四迷、石川啄木。竹中繁は朝日初の女性記者としてだけ語られるということになってしまった。

「歴史」と「記録」の間で

いだてん1964年東京オリンピックの記録映画を監督した市川崑。自らファインダーをのぞく。完成した作品は大ヒットしたが「記録か芸術か」の議論も巻き起こした

 田畑政治と社史という例を挙げるまでもなく、歴史は、記録されたものによって形づくられていく。その「記録」には、歴史書だけでなく、歴史上のことがらを素材にした創作物や、今日であれば、ネット空間にあった記述を検証せずに引用して発信されるコンテンツまでも含まれるだろう。

 『いだてん』はエンドロールで「史実を基にしたフィクションです」と断った。そもそもフィクションの作り手にとっては、小説、映画、テレビドラマで描くことは、実際の歴史ではないことは自明のことだ。出版、上映、放送にあたっては、読者・視聴者もそれを理解していることを前提としているはずだ。

 それを『いだてん』は、例外的にお断りを入れた。

 それでもネットや市井での会話では、「こういう歴史があったということを知ることができた」という感想が飛び交っている。

 本連載では、できるだけ興はそがないようにしたつもりだが、史実とフィクションの違いをテーマにした。『いだてん』の作品内部の世界を楽しんでもらうだけでなく、実際の出来事の一端も知ってもらいたいと考えた。

 もちろん、私のこの記述もまた一つの「記録」である。

いだてん1964年東京オリンピックの開会式。1万羽のハトが舞い上がった

視聴率という「記録」をどう考えるか

 『いだてん』については、「大河ドラマ史上最低の視聴率となった」という「記録」が、紙にもネットにも残された。しかしこの「記録」は、そのまま裸の数字として残していいのだろうか。

 私は、経歴にあるように、以前、朝日新聞のテレビ面の編集長役だった。その時、現在でも毎週木曜日に新聞の中面に掲載している「TVランキング」という週間の番組視聴率の表に、「数値は世帯視聴率であり、標本調査のため統計上の誤差があります」というお断りを入れるようにした。

 詳しくはビデオリサーチ社のホームページや、統計、標本調査、誤差といったキーワードで検索していただきたいが、関東地区の調査対象900世帯から導かれる世帯視聴率は、8.3%ならば、誤差はプラスマイナス1.8%である。8.3×0.018をプラスマイナスするのではない。8.3±1.8だ。正確な数字は、10.1%から6.5%の間です、ということになる。

 10.0%だとしたら誤差2.0%で、12.0%から8.0%の間。8.3%のときと10.0%のときの、それぞれの数字の幅を重ねてみて、数%の違いを比較して視聴率を語ることの意味を考えていただけるだろうか。

 そう、「TVランキング」の順位も、同じように理解してもらいたい。コメント欄でも、前回からコンマナンボ上がった下がったとは書かないようにと、担当者には指導していた。

 世帯視聴率は、その時間帯に、そのチャンネルに合わせているか、というデータである。だから、日曜夕方の食事時の番組や、朝出かける時間帯で時計代わりともなるニュースや情報番組に挟まれた連続テレビ小説などは、数字は高くなる。

 さらに朝ドラは朝8時の、大河ドラマは夜8時の視聴の調査であり、再放送やBS放送での視聴&録画視聴は、世帯視聴率にはカウントされない。サッカーなどのスポーツ中継も、新聞ではNHKや民放の地上波での視聴率を記事にすることがほとんどだ。しかし、NHKのBSでも中継されていれば、それを無視してBS放送が無かった時代の視聴率の数字と比較することは、果たして意味があるだろうか。

 地デジ放送に移行した後、テレビと録画機器が更新されて、番組を録画して時間をずらして視聴する習慣が広がったため、視聴率調査には、録画視聴率も加わった。ただ、それは、世帯視聴率を調査するのと同じ家庭で、録画後7日間以内に再生視聴したかを調べるものだ。

 説明が重なってしまったが、誤差、放送時間帯、再放送や別媒体での放送があるNHKと、それが無い民放番組との違い、そしてBS放送が無かった時代・簡便で高画質な録画機が無かった時代と現代との違い、1週間以内ではなく、まとめ視聴もするライフスタイルの変化……こうしたことを検討すれば、過去と比較して「最低」という数字だけに注目するのではなく、別の受け止め方をするべきだろうと思う。

 『いだてん』については、BSでの視聴率・録画視聴率も、昨年(2018年)の『西郷どん』などに比べて低かったようだ。このように直近の、視聴環境がほぼ同じ状況となった時代の、同じ大河ドラマ同士を比較することは、まだ意味があるだろう。しかし「過去最低」という表現は、やはり無意味だと思う。この5年、10年で視聴環境は激変したのだから。

 一方、ツイッターなどでの発信が、一年を通してトップクラスだったというリポートがネットには流れている。テレビ情報雑誌ではSNSでの反応も加味した独自の指標を打ち出してもいる。ただ、SNSは関心が共通する人たちが集って発信しあう傾向もある。

 従来の、新聞紙という限られた面積では、こうした番組視聴の実態を詳細に報道するには大きな制約がある。ではデジタルメディアでたっぷり報道できるかというと、この報告がそうだが、どこまで読んでいただけるか……ということはある。

 ただ、「記録」は、後々まで、十分な検証検討されることなく、再利用されがちだ。一方、「記録」が無ければ、再利用の逆で、どんどん「歴史」から失われていく。『いだてん』を巡っての報告、最後に視聴率のことまで取り上げたが、これも現在進行形の史実であるとご理解いただければと思う。