メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

2つの「点」を結ぶ「線」が戦後日米関係の謎を解く

 本連載の4回と5回で、「現在の日本は戦後GHQが炭坑節を使って創り上げた」という戦後史ミステリーの謎解きを行なった。

 今回は、それとひけをとらない歌謡遺産をめぐる戦後史ミステリーの謎解きの第2弾に挑戦をしてみたい。それは、現在の日米関係に尾を引いているという意味で、前回の「炭坑節と戦後某重大事件」よりもミステリー度が高いかもかもしれない。

拡大「軍艦行進曲40年記念演奏会」で指揮をとる作曲者の瀬戸口藤吉=1940年9月17日、東京・日比谷公会堂

 時期も内容も異なり一見無関係な「点」に見える2つの事件。唯一の共通点は「ある歌」がからんでいることだが、その2つの「点」をつないで「線」にすると、戦後日米関係の深層に潜む謎が解けるかもしれないのである。その「歌」とは「軍艦マーチ」(正式名称は「軍艦」だが、本稿では俗称で表記する)。2つの「点」とは、終戦直後の東京は有楽町のパチンコ屋と、それから30年後にアメリカで開催された先進国首脳会議(サミット)である。

 まずは、今に続く日米関係の深層の一端がほころびを見せた最初の「点」について記す。終戦から6年が経過した昭和26年(1952)春。マッカーサー元帥を司令長官に戴く連合国軍総司令部(GHQ)がいまだ日本を占領統治していたときのことである。

 そのGHQ本部からほど近い有楽町駅前のパチンコ店「メトロ」から、突然、「軍艦マーチ」が大音響で流れ出した。それを聴きとがめた丸の内署の警察官はさっそく店主をGHQのMP(憲兵)本部へ連行、御注進に及んだ。

 なぜ店主は「軍艦マーチ」をもって事におよび、なぜ丸の内署の警察官は「軍艦マーチ」を流したことで店主をGHQへしょっぴいたのか。まずはそれに至るいささか長い「歴史的背景」を述べる。

日清戦争開戦前夜に誕生した「軍艦マーチ」

 そもそも「軍艦マーチ」は、1893年(明治26)発行の「小学唱歌」(巻之六下篇)に、作詞・鳥山啓の「軍艦」として掲載された。折しも、日清戦争の開戦前年。日本が欧米列強の仲間入りの野望を抱きはじめる頃にあたっており、その出自によってこの歌のその後の育ち方は運命づけられていた。以下に1番の歌詞を掲げる。

 ♪守るも攻むるも黒金(くろがね)の
 浮かべる城ぞ頼みなる
 浮かべるその城日の本の
 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
 真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
 仇(あだ)なす国をせめよかし

拡大戦争遊戯「軍艦マーチ」を披露する、大阪・江戸堀幼稚園の園児たち=1937年11月

 歌詞の前半は、〝戦争を知らない子どもたち〟の私にも馴染みがあり、なんとなく口ずさむことができる。

 その後、歌詞はそのままに、横須賀海兵団軍楽隊兵曹長・瀬戸口藤吉によって、1900年と1910年の2度にわたって行進曲風に改作・編曲され、以来、海軍の観艦式や観兵式で演奏されるようになる。ここまでは日本国民の一部の軍人たちのそのまた一部である海軍兵士への「激励歌」でしかなかった。しかし、昭和16年(1941)の開戦をもって、「軍艦マーチ」は「国民的戦時歌謡」へと大きく飛躍する。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

前田和男の記事

もっと見る