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大本営発表の導入歌に

 同年12月8日、午前7時。ラジオから、突然、日本放送協会(現在のNHK)の男性アナウンサーの「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」の緊張した声が流れると、

 「大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍部隊は本8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

 と告げられた。そしてこれが繰り返された後、

 「本日は重大ニュースがあるかもしれませんから、ラジオのスイッチは切らないでください」

 と念が押された。そして、それから4時間半後の午前11時30分、ラジオからは、「軍艦マーチ」が鳴り響くと、大本営海軍部より、「ハワイ、シンガポール、上海などでの戦闘開始」が誇らしげに発表された。

拡大海軍特別大演習観艦式を前に、軍楽隊が「軍艦マーチ」などを演奏しながら御堂筋を行進 =1936年10月28日、大阪市・中之島
 これより以後、海軍関連の発表には「軍艦マーチ」、陸軍関連の発表には「陸軍分列行進曲(抜刀隊の歌)」、陸海軍合同発表には「敵は幾万」が導入曲として流れ、国民を大いに鼓舞した。それは昭和20年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏する前日まで、3年9カ月にわたった。

 「軍艦マーチ」をうけた大本営発表は、きまって「敵に甚大な被害をあたえ、わが方の損害は軽微」で、さすがに昭和天皇もこれに気づいて、「これでサラトガの撃沈は4度目」と軍部を皮肉ったと伝えられているが、ほとんどの国民は最後の最後まで一片の疑いも抱かず「聖戦の勝利」を信じ続けた。それには、勇壮な「軍艦マーチ」の演出効果が大いに与っていたことは間違いなかろう。

GHQには「軍歌のA級戦犯」のはずなのに

 以上の「歴史的物証」からすると、「軍艦マーチ」は、日本の占領統治者となったGHQにとっては「A級戦犯」であり、戦後は「禁歌」とされても当然であった。

拡大日比谷公園にあった「軍国行進曲」記念碑=1946年7月

 実際GHQは、教育・文化・思想の統制のために検閲局を設置、新聞・ラジオなどの報道機関や出版は「事前検閲」をうけ、歌舞音曲も戦前・戦中の「忠君愛国」イデオロギーを助長するとみなされたものは検閲・禁止の憂き目にあった。なかでも「軍艦マーチ」は帝国海軍のテーマソングであり、大本営発表の導入BGMにも使われた経緯からして、〝禁歌〟のはずだった。

 実は戦時下の昭和18年(1943)5月29日、「軍艦マーチ」の歌碑(正式には「軍艦行進曲記念碑」)が日比谷公園旧音楽堂前に建立され、その除幕式は、記念演奏会とともにラジオ第一放送で全国にむけ実況中継された。

 その碑文には

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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