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お年寄りの「徘徊」を芝居にする

主演は88歳。上演までの道行き/高齢者、認知症と楽しく生きる俳優の覚え書き(4)

菅原直樹 俳優・介護福祉士

 東京の劇団で俳優をしていた筆者は2012年、家族とともに岡山県へ移住した。そこで老人介護施設で働きながら、演劇活動を再開。「老い・ぼけ・死」をしゃれた表記にした「OiBokkeShi(オイ・ボッケ・シ)」をスタートさせ、後に「盟友」となる岡田忠雄さんと出会った。彼との初めての公演が開幕するまでの道行きを、2回にわたってつづってもらった。

「一緒に芝居をしませんか?」

介護と演劇岡田忠雄さん

 「老いと演劇」OiBokkeShiの看板俳優・岡田忠雄さんとの出会いは前回書いた。

 岡田さんは、OiBokkeShiの活動第1弾「老いと演劇のワークショップ」の一番乗りの参加者だった。

 認知症の奥さんを長年介護をしていて、演じることが大好きな88歳のおじいさん。定年退職後は憧れの映画俳優を目指して、今村昌平監督の映画『黒い雨』『カンゾー先生』等にエキストラとして出演してきた。ワークショップには認知症ケアのヒントを求めて、岡山市から和気町まで電車とバスを乗り継いで来てくれた。

 僕は、OiBokkeShiの活動として、前々から高齢者と一緒に演劇作品を作りたいと考えていた。

 それは、老人ホームで介護職として働いていた時にお年寄りの佇(たたず)まいを見て、「俳優として負けるな」と思ったのがきっかけだった。僕みたいな若い俳優は決して真似できない、人生や個性がにじみ出ているような佇まいだ。高齢者は、ただ歩くだけで観客を引きつける最高のパフォーマーなのではないか。

 「老いと演劇のワークショップ」を通じて、芝居作りに参加してくれる人を見つけることができたらと思っていた。そこに岡田さんはやってきた。しかも一番乗りで。僕は、この人しかいない、と勝手に運命のようなものを感じていた。

 岡田さんの連絡先を聞いていなかったので、岡田さんと帰り道が同じだったというワークショップの参加者に連絡をして、岡田さんの電話番号を教えてもらった。しかし、実際に電話をかけるまでに勇気が必要だった。

 僕は勝手に運命のようなものを感じているが、岡田さんがどう思っているのかはわからない。芝居作りは、一人でセリフを覚えたり、共演者たちと稽古をしたり、とにかくやることが多いし時間もかかる。ワークショップに参加して発表で演技をするのとは訳が違う。果たして芝居作りに興味を持ってくれるだろうか。

 当時、僕はOiBokkeShiの出演者探しとして、働いている老人ホームでお年寄りたちに手当たり次第「一緒に芝居をしませんか?」とスカウトをして回っていた。しかし、口を揃えて「わたしには演劇なんて」と断られていた。高齢者にはセリフ覚えが高いハードルになっているようだった。

 だが悩んでいてもしょうがない。一度電話をして、岡田さんの気持ちを聞いてみよう。本人が乗り気だったら芝居作りに参加してもらって、断られたらまた別の人を探せばいい。僕は思い切って電話をかけた。

 電話に出た岡田さんは開口一番にこう言った。

 「これはオーディションに受かったということですか」

芝居を作る。テーマは「徘徊」

介護と演劇岡田忠雄さん(左)と筆者

 88歳の岡田さんと芝居を作ることになった。ただ、どんな芝居を作るのかは全く考えていなかったので、ひたすら岡田さんの家に行って岡田さんの話を聞いた。戦争の話から介護の話まで。

 介護の話をしているときに、最近、認知症の奥さんが外に出てしまって困っているという話になった。この間は、明け方に奥さんが行方不明になって、新聞配達員と一緒に町内を探し回ったそうだ。

 岡田さんは耳が遠いが、奥さんは耳がいい。僕が岡田さんの家に電話をすると、岡田さんが電話の音に気付かずに、奥さんが受話器をとる。

 「ご主人の忠雄さんはいますか?」

 「忠雄ですか。いるかな…。ちょっと待ってください」

 それから延々と沈黙が続く。待てども待てども人の気配がしないので、5分ほど待ったところで電話を切った。

 岡田さんが2階の部屋にいると、奥さんが玄関を出る音が聞こえない。夕方になって奥さんの部屋を覗くと、もぬけの殻。岡田さんは足腰が弱くなってきているが、奥さんは足腰が丈夫なようで、遠くまで行っていることが多い。これまで警察に2回保護されていると言う。

 岡田さんと奥さんには子供はいない。自身も高齢なのに、奥さんを介護することは大変なことだ。僕は岡田さんと一緒に老老介護の現実を演劇で表現をしたいと思った。テーマは徘徊(はいかい)にしよう。徘徊に困っている岡田さんと一緒に、演劇を作りながら徘徊とは何かを考えることができたら。

ファインダー越しに見えた祖母の世界

介護と演劇『よみちにひはくれない』の上演で、岡田忠雄さん(右)と筆者が街を歩く

 話はさかのぼるが、僕自身も大学生の頃に認知症の祖母の徘徊に付き添ったことがある。

 大学でのドキュメンタリー映画の講義がきっかけだ。夏休みに「身内の戦争体験をインタビューしてビデオカメラで記録する」という課題が出て、母方の祖母は広島出身で被爆者だったので、帰省しているときに祖母から話を聞こうと思った。

 しかし、久しぶりに会った祖母の認知症は急速に深まっていた。ドキュメンタリーのテーマは「戦争」から「認知症」に変わった。

 祖母が少女のように頬を赤く染めて、デイサービスで知り合った高齢男性の魅力を語る姿を、僕はビデオカメラで撮り続けた。しばらくすると、外から車が通る音がする。祖母は「あら」と言って、玄関を出て行く。その高齢男性が自分を迎えに来たと思っているのだ。これが徘徊の始まりだ。

 祖母の高齢男性に対する片思いの話は、家族としてはあまり聞きたい話ではない。家族は、臭いものに蓋を閉めるような感じで、適当な相槌を打ったり、話を変えたりしていた。外に出ようとしたら、真っ先に玄関に鍵をした。

 しかし、その時、僕はドキュメンタリー作家になっていたので、外に出る祖母を止めようとせずに、カメラを構えてあとを追った。高齢男性が迎えにくる、というのは祖母の妄想だ。しかし、ファインダー越しに祖母を追っていると、もしかしたら本当に高齢男性が迎えに来るのかもしれないと思った。祖母の見ている世界がこちらにも広がってきたのだ。

 背筋が凍るような、でも胸が高鳴った、あの瞬間が忘れられない。徘徊を切り口に、認知症の人の見ている世界を演劇体験として観客と共有できる作品が作れたら、と思った。

「夜道に日は暮れない」

 岡田さんは話好きで、特に演劇の話となるといくらでも喋り続ける。岡田さんの家で盛り上がって話をして、外も暗くなってきたので、そろそろ帰ろうかと腕時計を気にし始めると、岡田さんは「夜道に日は暮れない」と言った。聞きなれない言葉だった。

 もう日が暮れてしまったのだから、せかせかしないで、ゆっくりと腰を落ち着かせて、今を楽しもうじゃないか、という意味らしい。この開き直りの言葉は、超高齢社会に88歳の岡田さんが言うと、とても味わい深いように感じた。

 老い、ぼけ、死はマイナスのイメージがあるが、ある視点から捉え直せば、プラスのイメージになるのではないか。これはまさにOiBokkeShiが目指すものだ。

 岡田さんと一緒に作る演劇作品のタイトルは『よみちにひはくれない』に決めた。

介護と演劇『よみちにひはくれない』公演のちらし
 タイトルと題材、岡田さんの出演は決まった。台本を書く前に決めなければならないのは、岡田さん以外の出演者と会場だ。

 岡田さん以外の出演者はどうするか。まだ出来たばかりの劇団でメンバーは少人数で、公演資金も少ない。これから出演者を募集をするのも大変だし、大きな劇場を借りるのも予算的に厳しい。今いるメンバーで、和気町のどこかで、小規模な公演ができたらいい。

 初期メンバーで演劇経験者が2人いた。東京でミュージカルに出演した経歴を持つ古川恭子さんと、和気町の町民劇団で活動していた周藤真子さんだ。あと、商店街で時計屋を営む和田勉さんは、老いと演劇のワークショップで自然体の演技を見せて、本人も演技を楽しんでいるようだった。演劇経験はないけど、お願いしたら芝居に出てくれるかもしれない。この3人に出演してもらおう。

 その時、あるイメージが僕の中に浮かんだ。古川さん、周藤さん、和田さんは商店街でお店をやっていたり、生活をしていたりする人たちだ。テーマが徘徊なのだから、実在の商店街を舞台に演劇をしてみたらどうだろうか。

 周藤さんは手芸屋さん役、和田さんは時計屋さん役。つまり、自分の店で自分の役をやってもらう。この設定だったら、演劇初心者の和田さんもそれほどハードルが高く感じないのではないか。そして、岡田さんも自身の境遇に近い、認知症の妻を探すおじいさんの役はどうだろう。(つづく)