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必見! 『丹下左膳余話 百万両の壺』は“神品”

ユーモアと人情、絶妙に転がるドラマ

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 新年早々、東京の神保町シアターで驚愕の特集が始まる。伝説の天才監督・山中貞雄の生誕110年、および“アウトロー・ヒーロー”国定忠治の生誕210年を記念しての、「新春時代劇傑作選2020」である。ラインナップは、28歳の若さで戦病死した山中貞雄の『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935)、『河内山宗俊』(1936)、『人情紙風船』(1937、遺作)――残存する山中作品はこの3本のみ(DVDあり)――、巨匠・伊藤大輔の、1992年にフィルムが発見された貴重なサイレント作品『忠次旅日記』(1927)、名匠・マキノ雅弘の『八州遊侠伝 男の盃』(1963、藤純子のデビュー作)。

山中貞雄山中貞雄(1909―1938)
 いずれも見逃せない演目だが、今回は日本映画史上の傑作中の傑作、と言っても足りないほどの、まさしく“神品”と呼ぶしかない、山中貞雄の『丹下左膳余話 百万両の壺』を取り上げたい。

 題名のごとく『百万両』は、かの隻眼隻手(せきがんせきしゅ)の怪剣士、丹下左膳ものの1本である。しかしこの映画では、それ以前の、大河内傳次郎扮する伊藤大輔の2作品などで人気を博した、殺気に溢れたニヒルで悲愴な剣客とは打って変わった、剣の腕は立つがお人好しの左膳を同じく大河内が演じるが、その軽やかで飄々(ひょうひょう)たるモダンな作風、および見る者の琴線に触れる<情>の描写が、ひたすら素晴らしい(“丹下左膳異聞”ともいうべき本作では、役者らはみな、のんびりとした心地よいメロディーに乗って、現代調のセリフを喋る)。

 いきおい、『百万両』をしいてジャンル分けするなら、丹下左膳映画を換骨奪胎したコメディー仕立ての人情時代劇、となろうか(伊藤大輔が撮る予定だった3作目の左膳ものを、伊藤が1934年に日活を退社したため、急きょ25歳の(!)山中が任された)。

『丹下左膳余話 百万両の壺』『丹下左膳余話 百万両の壺』

――百万両の隠し場所を記した絵図面が塗り込められた「こけ猿の壺」探索譚に、丹下左膳/大河内傳次郎、彼が用心棒として居候している矢場の女将・お藤(喜代三)、そして孤児のちょび安(宗春太郎)が絡む、というのが物語の枠組みだが、プロットとしてユニークなのは、左膳の登場に先立って、柳生一門内の壺の争奪戦がユーモラスに描かれる点だ。

 すなわち、ひょんなことから壺の所有者となっている、剣術の道場主であり恐妻家の柳生源三郎(沢村国太郎)は、壺の秘密などつゆ知らなかったが、藩主である彼の兄・柳生対馬守(阪東勝太郎)がなんとか壺を手に入れようと画策するも、兄に壺を渡そうとはしない。おっとり屋で機転が利くようには見えない源三郎が――ただし真相に気づいたのではなく、常日ごろ婿養子の自分を見下している兄の態度が気に入らぬ、という理由から――、のらりくらりと兄の要望をかわすところが、ひどくおかしい(長門裕之と津川雅彦の父であり、沢村貞子と加藤大介の兄である沢村国太郎の、のほほんとしたノンシャランな演技も最高)。

 やがて屑屋(高勢實乗・鳥羽陽之助の極楽コンビ)に売られた壺は、巡り巡ってちょび安の金魚鉢になるが、左膳とお藤は、父を刺殺され孤児となったちょび安を引き取ることに。さらに矢場で働く可憐な娘・お久(深水藤子)に一目惚れして彼女と恋仲になった源三郎が、足しげく矢場に通い始め、左膳、お藤とも親しくなる……というふうに、お家騒動的壺探し、ちょび安をめぐる人情劇、源三郎とお久の恋、左膳とヤクザ者の対決、などなどが歯車のように緊密にかみ合い、ドラマは絶妙に転がる。

脳髄がしびれるほど素晴らしい演出と画面

 こうした、プロットの緻密さや考え抜かれた小道具――壺だけでなく、招き猫、弓の的、達磨(だるま:矢場の景品)、小判、竹馬、望遠鏡など――の使い方に加えて、というか、それらと混然一体となった山中貞雄の演出や画面づくりが、脳髄がしびれるほどの素晴らしさだ。

 たとえば、左膳とお藤やちょび安が壺を間に置いて腰かける縁側を、あるいは後ろ姿のちょび安が壺を脇に置いて一人腰かける縁側を映す引きのショットの、的確極まりない鮮明さ、あるいは三味線を爪弾いて唄うお藤を写すカメラが、ゆるやかに移動して弓矢が刺さった幾つもの大小の丸い的をとらえる矢場のショットの、なんという艶麗(えんれい)さ。また、壺や招き猫や達磨を句点のように写す無人ショットの、あるいは源三郎の恐妻・萩乃(花井蘭子)が、矢場で夫がお久と親しげにしているところを、屋敷から望遠鏡で目撃する(!)ショット連鎖の、恐るべき冴え。さらにまた、自分は左膳らのお荷物なのでは、との思いから、矢場を去ったちょび安が壺を抱えてしょんぼり歩く川沿いの道のショットの、胸に迫る哀切さ。あるいはさらに、源三郎の道場にやって来た左膳が、ぴょんと跳び上がったり素早く駆けたりしながら、左手に持った木刀を振るって何人もの強者(つわもの)を次々に倒し、しかし源三郎には八百長で負ける(!)立ち回りシーンの、なんたる躍動感とユーモア……。

 だがそれにしても、本作における、流れるようにリズミカルなテンポのモンタージュ/編集、あるいは緩急自在のチェンジ・オブ・ペースによるカット展開は、とりもなおさず、天才・山中貞雄にしか撮れない画面連鎖だ。また、役者の顔のクローズアップが極端に少ないことも、余計な心理説明を避ける聡明な山中演出の特徴のひとつである。

 『百万両』はまた、左膳とお藤が意地を張りあう、喧嘩友達的カップルをめぐるコメディー映画でもある。へそ曲がりの二人は

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