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「フランスの樹木希林」ヴァルダの侠気と自立心

自由な夫も包み込む強さと大らかさと覚悟

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

類まれな独立独歩の精神

 前稿では、まず冒頭でアニエス・ヴァルダ監督の日本劇場初公開となる3作品を、駆け足で紹介した。遺作となったセルフポートレート『アニエスによるヴァルダ』(2019)、ヌーヴェル・ヴァーグの到来を告げた先駆的なデビュー作『ラ・ポワント・クールト』(1954)、自宅から半径50メートルの商店街の観察記『ダゲール街の人々』(1975)である。

 時代もスタイルもテーマも異なる作品が一挙に上映されているこの機会に、世界で最も有名な女性監督のアニエス・ヴァルダと、日本ではその粋な生き様にファンも多い名女優の樹木希林さん(以下、ヴァルダ表記に合わせ敬称略)を並べ、共通点を探ってみることにした。

 本稿では、惜しくも最近この世を去った偉大な日仏の女性映画人の“共通点語り”を、もう一歩進めてみたい。とりわけヴァルダの素顔や私生活を少しでも知っておくことは、彼女の作品群をより深く味わい、受け止めるためにも大変有益だと思う。

 今回強調したいのは、二人が備えていた類まれな“独立独歩の精神”だ。それは夫に対する態度に注目すれば、非常にわかりやすい。才能も魅力もあるが、夫婦関係の面では少々自由で身勝手さもあった夫に対する立ち居振る舞いが、希林もヴァルダも実に懐が広いというか、肝が座っていたと思う。人として完全に自立できていたからこそ、可能な態度であったろう。

 希林とロック歌手で俳優の内田裕也との独特な夫婦関係は、世間でよく知られている。二人は1973年に結婚したが、『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書/聞き手・石飛徳樹)で希林本人が語るところによると、実質の同居生活は3カ月に満たなく、あとは45年にわたり別居状態。この間、内田氏は堂々と浮名を流したし、周囲との諍いも起こすトラブルメーカーであった。

 しかし、希林は長きにわたって経済的に彼を支えた。身の回りの世話こそ恋人が見ていたようだが、内田氏は希林が所有するマンションに住んでいた。娘の内田也哉子氏が父の遺品整理でマンションを訪れたら、物欲がない母とは反対に、“赤い靴下”など同じ物がたくさんそろった山に驚いたという。「悲しい哉、その資金源はほぼ母と本木(雅弘)さんなんですからね(笑)」と語っているから、経済的にも最後まで内田氏は希林や義理の息子に頼っていたようだ。

樹木希林さん=東京都中央区築地、村上健撮影 2018年拡大樹木希林=2018年、東京都中央区築地 撮影・村上健

 そして、ヴァルダである。彼女の夫は監督のジャック・ドゥミ。ミュージカル映画の金字塔『シェルブールの雨傘』(1963)『ロシュフォールの恋人たち』(1966)などで誉れ高い、彼もまたヌーヴェル・ヴァーグの名匠だ。夫婦ともに映画史に残る作品を残し、お互いを尊重、尊敬し合う理想のおしどり監督というイメージがあるだろう。

 だがそんなイメージとは裏腹に、ヴァルダとドゥミは離婚こそしなかったものの、実際はかなり紆余曲折の結婚生活を送っている。80年代には夫婦関係が破綻し、長らく別居もしていた。そういったことがさほど知られていないのは、ヴァルダがドゥミを思い憚(はばか)り余計なことを語らなかったことに加え、日本のようにマスコミが有名人を追いかけ回し、国民が絶えずゴシップを消費する国でないこともあるだろう。

 フランスはそもそも「人は人」というごく普通の感覚を多くの人が持っている。他人の不倫や不貞は本人の問題だから、他人が口を挟むのは野暮なことだ。この手の話で真っ先に挙げられるのが、フランソワ・ミッテラン大統領の例である。記者から愛人の子供がいるかを問われ、「はい、一人女の子がいますが、Et alors?(エ・アロール/それが何か?)」と答えたというものだ。このエピソードは、フランス人よりどうも日本人の心の方に深く刺さったようである(渡辺淳一が小説のタイトルに引用し、後にドラマ化もされた)。

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筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

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