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たのきんトリオの誕生~ジャニーズの復活

太田省一 社会学者

 今回から、1980年代のアイドルへと話を進めていきたい。特に1980年代前半は、男女問わず人気アイドル歌手が数多く生まれた「アイドル全盛期」だった。そのなかの代表的男性アイドルとして、まずたのきんトリオを振り返ってみたい。

JJSと川崎麻世~1970年代後半のジャニーズ歌手

 前に少しふれたように、1970年代後半のジャニーズは苦戦を強いられていた。

 やはり大きかったのは郷ひろみの事務所移籍である。そこにフォーリーブスの解散も重なった。ただしその時期にも、ジャニーズの歴史を語るうえで重要なタレントはいた。その何組かを取り上げてみよう。

 1975年には、JOHNNYS'ジュニア・スペシャル(JJS)がレコードデビューしている。

 メンバーだった板野俊雄、林正明、畠山昌久の3人は、元々9人で構成された「ジャニーズジュニア1期生」のメンバーだった。それが3人グループと6人グループに分かれ、何度かメンバーの出入りがあった後にデビューしたのが3人グループのJJSだった(残る6人は事務所を移籍、「メッツ」というグループでデビューする)。

 JJSのデビュー曲は「ベルサイユのばら」。当時、池田理代子の同名漫画が宝塚で舞台化されてブームになっていた。それをモチーフにした楽曲である。「美しく咲いたばらは 燃えて散る青きドナウに」というミュージカル調の歌いだしで、ちょっと無国籍感、グループサウンズの香りもある。ジャニーズ事務所創設にあたってジャニー喜多川が「男版宝塚」を目指した一面があったことは前にも述べた。また衣装の胸元に薔薇の刺繍があしらわれるなど少女漫画的世界をベースにしている点はまさに「王子様」的でもある。いわばJJSのこの路線は、ジャニーズの本流と言えるようなものだった。

 ただ、「新御三家」のところでもふれたように、この時代になるとアイドルはテレビによりフィットすることを求められた。その点、ミュージカル路線をうまくテレビの世界に落とし込むのは容易ではない。その後JJSは子ども向け番組に出演したり、ベイ・シティ・ローラーズの「サタデー・ナイト」のカバーをしたりした。そんなところに、試行錯誤の跡がうかがえる。

川崎麻世=2001年川崎麻世=2001年
 一方、この時期のジャニーズを代表するソロ歌手が川崎麻世である。1977年に「ラブ・ショック」でデビュー。大きなヒット曲には恵まれなかったが、ブロマイドの月間売上トップ回数が1970年代全体で郷ひろみを上回って3位に入る(マルベル堂編著『マルベル堂のプロマイド』ネスコ、91頁)など抜群のルックスとスタイル(股下の長さが話題になった)は際立っていた。

 また彼は、多芸で器用でもあった。注目のきっかけはテレビ番組で西城秀樹の物真似が評判になったことであり、デビュー後もバラエティによく出演していた。榊原郁恵主演『ナッキーはつむじ風』(TBSテレビ系)の相手役などドラマでも活躍。さらには、スケートボードなどスポーツのイメージもあった。そのあたりは、後の光GENJI、さらにはSMAPにも通じるものがある。

井上純一という俳優ジャニーズ

 ただ、以前にも書いたように、当時はちょうど「ロック御三家」に大きな注目が集まっていた時期。その点、ジャニーズ的な「王子様」路線は分が悪かったと言える。

 そうしたなか、歌の世界ではなく演技の世界で頭角を現したのが、井上純一だった。

 井上は、最初から俳優専業であったわけではない。ジャニーズジュニアとして活動し、当初郷ひろみの後継者として期待され、1975年には「恋人ならば」でレコードデビューをしている。

 だがほぼ同時に始めた俳優業のほうで、彼は有名になっていく。映画やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』への出演などもあったが、なんと言ってもその存在を世に知らしめたのは、学園ドラマでの生徒役だった。

井上純一OP写真通信社井上純一=OP写真通信社提供
 井上純一のデビューは、ちょうど中村雅俊が一世を風靡した頃である。『青春ド真中!』(1978年5月放送開始)、『ゆうひが丘の総理大臣』(1978年10月放送開始)(いずれも日本テレビ系)と中村主演の学園ドラマに連続して出演し、生徒役としてブレークしたのが井上であった。

 いずれの作品においても、彼が演じたのは不良生徒役である。ただ、従来の学園ドラマにありがちなステレオタイプの不良ではなく、より掘り下げられたキャラクターとして造形されていた。

 たとえば、『青春ド真中!』で井上純一が演じた有沢健太は、両親が離婚し姉と二人暮らし。表向きは不良のように振る舞っているけれども、以前は優等生だった。試験もわざと間違えて悪い点を取ることで、不良という衣をまとっている。そんなこころに屈折を抱えた生徒として描かれている。

 つまり、いわゆる「ワル」ではない。一見明るく元気だが、実は繊細で寂しさを抱えている。そんな役柄は、井上純一本人が醸し出す雰囲気にも合っていた。

 その後も井上は『あさひが丘の大統領』( 日本テレビ系)に出演するなど、学園ドラマに欠かせない俳優となっていく。しかしながら、そこで一気にジャニーズ復活とはいかなかった。やはりそこでは主人公はあくまで中村雅俊らが演じる教師であり、生徒ではなかった。日本テレビが1960年代以来営々と築いてきた学園ドラマの伝統的フォーマットが継承されていた。

 とはいえ、井上純一の不良役の造形が物語るように、この時期の学園ドラマは従来のシンプルな楽天主義とは一線を画し始めていた。「中村雅俊の登場と“終わらない青春”」でも取り上げた『俺たちの旅』にすでにその兆しはあったが、高度経済成長の熱気も去った当時の世の中を反映するように、学園ドラマも10代のリアルな心情や悩みに照準しつつあった。

 要するに1970年代後半、学園ドラマは大きな過渡期にさしかかっていた。しかしそれゆえに、そのなかで人気を博した井上純一もまたアイドルとして過渡期的な存在であらざるを得なかった。

たのきんトリオ~アイドルを生んだ『金八先生』

 そのような状況のなかで1979年10月に始まったのが、『3年B組金八先生』(TBSテレビ系)(以下、『金八先生』と表記)の第1シリーズである。

 主演はフォークグループ・海援隊の武田鉄矢。彼が演じる教師・坂本金八が、自分の受け持つ桜中学3年B組に次々と巻き起こる問題に取り組む姿を描いた作品である。海援隊による主題歌「贈る言葉」も大ヒット。武田が大学の教育学部に通っていたこともあり、劇中の授業シーンがひとつの見どころであった。

『3年B組金八先生』(TBSテレビ系)『3年B組金八先生』(TBSテレビ系)=TBS提供

 このドラマは、先ほどふれた学園ドラマの新たなリアリズム志向を徹底させた点で画期的なものだった。

 教育現場の実情を踏まえた小山内美江子らの脚本は、思春期を迎えた中学3年生が抱える多様な悩みをきめ細かく描いた。受験、親や友人との関係、恋愛の悩みはもちろん、非行や性の問題を正面から取り上げ、世間の大きな反響を呼んだ。視聴率も右肩上がりとなり、最終回は39.9%(ビデオリサーチ調べ。関東地区)という驚異的な数字を記録した。

 この作品に3年B組の生徒役として出演し、人気が沸騰したのがジャニーズ事務所所属の3人、田原俊彦、近藤真彦、野村義男だった。彼らはこの出演を

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