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たのきんトリオの誕生~ジャニーズの復活

太田省一 社会学者

井上純一という俳優ジャニーズ

 ただ、以前にも書いたように、当時はちょうど「ロック御三家」に大きな注目が集まっていた時期。その点、ジャニーズ的な「王子様」路線は分が悪かったと言える。

 そうしたなか、歌の世界ではなく演技の世界で頭角を現したのが、井上純一だった。

 井上は、最初から俳優専業であったわけではない。ジャニーズジュニアとして活動し、当初郷ひろみの後継者として期待され、1975年には「恋人ならば」でレコードデビューをしている。

 だがほぼ同時に始めた俳優業のほうで、彼は有名になっていく。映画やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』への出演などもあったが、なんと言ってもその存在を世に知らしめたのは、学園ドラマでの生徒役だった。

井上純一OP写真通信社拡大井上純一=OP写真通信社提供
 井上純一のデビューは、ちょうど中村雅俊が一世を風靡した頃である。『青春ド真中!』(1978年5月放送開始)、『ゆうひが丘の総理大臣』(1978年10月放送開始)(いずれも日本テレビ系)と中村主演の学園ドラマに連続して出演し、生徒役としてブレークしたのが井上であった。

 いずれの作品においても、彼が演じたのは不良生徒役である。ただ、従来の学園ドラマにありがちなステレオタイプの不良ではなく、より掘り下げられたキャラクターとして造形されていた。

 たとえば、『青春ド真中!』で井上純一が演じた有沢健太は、両親が離婚し姉と二人暮らし。表向きは不良のように振る舞っているけれども、以前は優等生だった。試験もわざと間違えて悪い点を取ることで、不良という衣をまとっている。そんなこころに屈折を抱えた生徒として描かれている。

 つまり、いわゆる「ワル」ではない。一見明るく元気だが、実は繊細で寂しさを抱えている。そんな役柄は、井上純一本人が醸し出す雰囲気にも合っていた。

 その後も井上は『あさひが丘の大統領』( 日本テレビ系)に出演するなど、学園ドラマに欠かせない俳優となっていく。しかしながら、そこで一気にジャニーズ復活とはいかなかった。やはりそこでは主人公はあくまで中村雅俊らが演じる教師であり、生徒ではなかった。日本テレビが1960年代以来営々と築いてきた学園ドラマの伝統的フォーマットが継承されていた。

 とはいえ、井上純一の不良役の造形が物語るように、この時期の学園ドラマは従来のシンプルな楽天主義とは一線を画し始めていた。「中村雅俊の登場と“終わらない青春”」でも取り上げた『俺たちの旅』にすでにその兆しはあったが、高度経済成長の熱気も去った当時の世の中を反映するように、学園ドラマも10代のリアルな心情や悩みに照準しつつあった。

 要するに1970年代後半、学園ドラマは大きな過渡期にさしかかっていた。しかしそれゆえに、そのなかで人気を博した井上純一もまたアイドルとして過渡期的な存在であらざるを得なかった。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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