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ショーウィンドウに響く〝山師たちの唄〟 その1

【9】高峰秀子「銀座カンカン娘」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

 今回訪ねる昭和歌謡遺産の地は、花の都・銀座。

 銀座をうたった昭和歌謡はそれこそ山とある。おそらく流行歌の歌枕としては一頭地を抜いていることだろう。そして、その大半、いや99パーセントは、銀座という〝場の力(オーラ)〟にあやかったものである。そもそも「銀座の恋」というタイトルだけで発信力が違う。私が生まれそだった「中目黒の恋」では、のっけから誰からも見向きもされないにきまっている。

 しかし、極めて稀れだが、「銀座のオーラ」にあやからないどころか、むしろ銀座に〝今までにない新しいオーラ〟を与え、しかも当の銀座にそうとは気づかせないで、その飛躍に大いに貢献した唄たちがある。今回と次回では、そのレアケースにアプローチしてみたい。

唄:「銀座カンカン娘」(高峰秀子)
時:昭和24年(1949)
場所:東京・銀座

銀座は敷居が高かった

拡大銀座4丁目交差点。正面が和光ビル

 私にとって、銀座は、子供の頃からかなりの時分まで敷居が高くて苦手だった。

 昭和40(1965)年、大学の1年まで私は目黒区の中目黒に住んでいた。目黒というと自由が丘や田園調布と一緒に「山の手」に括られて高級住宅地のように思われるかもしれないが、往時は、駒沢通りからちょっと奥へ入った我が家の界隈はまだ汲み取り便所で、私のようなふつうの勤め人の子が半分、残りは商売人や職人の子供たちのごった煮で、およそ〝高級高踏〟とは無縁の地だった。

 高校の1、2年まで銀座に行ったのはあわせても5回もないだろう。小学校の頃、親に連れられて、銀座の立田野で食べたあんみつが妙に薄味だったことを今も憶えている。たまたま父親から外へ食事にいくかと渋谷に連れ出され、恋文横町で焼きそばのあと道玄坂で口直しに食べたあんみつのほうがはるかにうまかった。それよりも友達の母親が地元の商店街の伊勢脇(一応「中目黒銀座」と入口に看板が掛っていたが、地元の人は誇りをこめて「伊勢脇」と呼んでいた)の、床との相性が悪くテーブルががたがた鳴る甘味屋でごちそうになったあんみつが一番おいしかった。

 ハレのイベントは子供の足でも小一時間で歩いていける渋谷で十分にこと足りた。洋画をジャストタイムで観ようというなら東急文化会館の「パンテオン」でいい。「アラモ」もそこで観た。ジェームズ・コバーンの下手投げのナイフ使いを学校で真似しあったが、銀座や有楽町の封切館でそれをわざわざ見たという同級生はいなかった。

 中学からは都電で都心の男子校に通うようになり、距離的には銀座に近づいた。虎の門から新橋経由で歩いていけなくはない。それでも自分一人で、あるいは友達をさそって行ったことはない。例外は、ちょうど燃え尽きようとしていたみゆき族の真似事を、VANの紙バックを小脇に抱えくるぶしが覗く短いコットンパンツのいで立ちで、今は亡きポン友の鈴木ヒロミツの驥尾に付してつきあったときぐらいだった。それでも、本場の銀座みゆき通りにはなじめず、2、3回で渋谷のセンター街へ都落ち。そこでみゆき族のエピゴーネンでお茶を濁していた。ときに渋谷で磨いた技を試そうというときも、はなから本場・銀座で勝負に出る気はなく、東横線に乗って横浜は伊勢佐木町の〝親不孝通り〟へ出かけたものだ。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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