【10】高峰秀子「銀座カンカン娘」
2020年01月17日
唄:「銀座カンカン娘」(高峰秀子)
時:昭和24年(1949)
場所:東京・銀座
三島海雲と銀座の物語は、たまたま敗戦直後の異常事態に起きた例外ではないかと言われるかもしれない。ところがそれから四半世たって、またもや同様の事件が起き、私の銀座観をいっそう軽くし銀座に対する敷居を大きく下げてくれたのである。
それでは引き続いて、これまた三島海雲も顔負けの講談本から抜け出てきたような人物と銀座をめぐる物語へと移るとしよう。
翌年で銀座の赤煉瓦街が誕生して100年を迎えるという節目の昭和46年(1971)、「もっとも銀座らしからぬ」といわれた事件が世間をさわがせる。7月20日、東京のど真ん中の銀座4丁目交差点の老舗百貨店1階にアメリカから上陸したハンバーガーチェーンの1号店がオープンしたのである。
♪世界のことば マクドナルド
世界中おいしい笑顔
世界中うれしい願い
いつだって どこだって 誰だって
おいしいことばは 一つだけ
世界のことば マクドナルド
これぞ、明治の脱亜入欧による洋食の登場から100年をへて起きた、ファストフードという名の「食の文化大革命」の始まりを告げる「鬨の声」であった。
これを聞いて、私のように銀座を敷居が高いと思っていた若者たちは敷居が低くなったと喜び、いっぽう銀座を崇めてきた紳士淑女たちは眉をひそめたが、銀座自身にとっては次なる飛躍のための活力をもらえるまたとない革命的事件であった。
この革命を仕掛けて見事成功に導いた男とは、藤田田。三島海雲とも相通じる異色の経歴の持ち主である。
終戦後の混乱期、日本中を仰天させた東大生・山崎晃嗣の闇金融会社「光クラブ」事件に参謀として関与。資金繰りにつまった山崎が、「契約は人間と人間がするもので、死人という物体には適用されぬ。そのために死ぬ」という牽強付会な遺書を残し服毒自殺した後、藤田は、東大法学部在学中から進駐軍の通訳で培ったコネと語学力をフル活用して
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください