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田原俊彦と近藤真彦~それぞれの軌跡と魅力

太田省一 社会学者

 前回は、1970年代後半のジャニーズの状況、さらに学園ドラマの新しい流れのなかでたのきんトリオが誕生する様子を振り返った。今回は、たのきんトリオの歌手デビュー順に田原俊彦と近藤真彦についてみていきたい。

田原俊彦のギャップの魅力

 トシちゃんこと田原俊彦は、1961年生まれ。ジャニーズ事務所に入ったのは高校1年生のときである。山梨から通いながらレッスンを続け、本格的な芸能活動は高校を卒業してからだった。ジャニーズJr.時代には川崎麻世のバックで踊ったりもしていた。

 そうしたなか出演することになったのが、『3年B組金八先生』(以下、『金八先生』と表記)である。中学生役だったが、1979年10月の放送開始時にはすでに18歳であった。年齢だけが理由ではないだろうが、彼には他の生徒役と比べてもずいぶん大人びた雰囲気があった。

 劇中の役柄自体もそうだった。彼が演じた沢村正治は、音楽の悦子先生(名取裕子)に秘かな恋心を抱く。また正治には両親がいない。姉が親代わりになって彼の面倒を見ている。この設定は、前回ふれた『青春ド真中!』で井上純一が演じた有沢健太に似ている。キャラクターとしても、一見不良っぽく大人びていながら、ふとしたときに見せる寂しげな表情、少年らしい純粋さがのぞく感じ、そのギャップの魅力が共通していた。

田原俊彦拡大男性アイドル史のなかで「王子様」の系譜をたどった田原俊彦

 井上純一が、歌手デビュー当時には郷ひろみの後継者と目されていたことは述べた。同じように、田原俊彦もジャニーズの歴史で言えば、郷ひろみの系譜に連なるだろう。彼の歌手デビュー曲のタイトルは、洋楽をカバーした「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」(1980年発売)。アップテンポの曲ではあるが、少し大人びた恋愛を歌った内容にはタイトル通り哀愁が漂う。そこにはやはり、郷ひろみのジャニーズ時代の代表曲「よろしく哀愁」を連想させるものがある。

 この「哀愁でいと」は、オリコン週間チャートで最高2位、音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系)でも3週連続の1位を獲得するなど、大ヒットを記録。たのきんの3人が生徒役で出演した学園ドラマ『ただいま放課後』(フジテレビ系、1980年放送開始)の挿入歌でもあった。初出場した1980年の『NHK紅白歌合戦』でも歌われたが、その際近藤真彦と野村義男が応援に駆け付け、歌のときにはバックで踊った。

 続く2曲目のシングル「ハッとして!Good」(1980年発売)は高原やテニスコートでの彼女との幸せな時間を歌った明るく軽快なラブソングで、ジャニーズとして初となる日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。この曲が流れるチョコレートのCMで同期デビューの松田聖子と共演したことも話題になった。

 歌手デビューしてからの田原俊彦にも、この2曲の曲調の違いに表れているようにギャップの魅力があった。当時よく真似されたように「アハハハ」と天衣無縫な笑顔を見せるかと思えば、一転して物思いにふけるような表情を見せる。その能天気さと翳りのふり幅に、多くのファンが魅了された。

 そこにも、1970年代の郷ひろみに通じるものがあるだろう。田原俊彦もギャップの魅力を活かし、歌だけでなくドラマ、バラエティなど幅広く活躍した。郷ひろみと同様に、ジャニーズにおけるテレビにうまく適応した「王子様」の系譜である。

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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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