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野村義男、たのきんトリオのジャニーズ史的意義

太田省一 社会学者

野村義男がジャニーズにもたらしたもの

 しかし、一世を風靡したたのきんトリオのひとりである野村義男がロックバンドという道を選んだことは、ジャニーズにとって後々大きな意味があった。

 1970年代後半にレイジーや「ロック御三家」などロックアイドルのブームがあったことは、この連載のなかでふれた。THE GOOD-BYEも一見それに近い。しかし、ミュージシャンがアイドルになったのではなく、アイドルがミュージシャンになったという点ではベクトルが逆である。

 そもそもジャニーズの歴史において、バンドでデビューするケースがそれまでなかったわけではない。ただ他のジャニーズ所属タレントのバックバンドを兼ねるようなケースも多く、ジャニーズのなかでバンドというスタイルはかろうじて命脈を保っていたと言える(矢﨑葉子『ジャニーズ輪廻論』太田出版、89頁)。

 その意味で、THE GOOD-BYEのデビュー、そして活躍は画期的なことだった。それをきっかけに、ジャニーズ伝統の歌って踊るグループとは異なるバンド形態のグループが人気を得る土台ができたからである。

 1985年には、ジャニーズJr.のメンバーによってバンド形態のグループ・男闘呼組が結成された。その後メンバーの入れ替わりもあったものの、最終的に成田昭次、高橋一也(現・高橋和也)、岡本健一、前田耕陽の4人に落ち着く。

元「男闘呼組」の高橋和也2012年拡大元「男闘呼組」の高橋和也=2012年
 彼らはドラマやバラエティに出演して知名度を上げた後、1988年に「DAYBREAK」でレコードデビュー。これがいきなりオリコン週間チャート1位を獲得するなど大ヒット、レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、『NHK紅白歌合戦』初出場も果たした。その後も「TIME ZONE」(1989年発売)などデビューから連続4曲がオリコン週間チャートで1位となる快挙を達成する。

 当時、男闘呼組は光GENJI、少年忍者(後の忍者)とともに「少年御三家」と呼ばれ、

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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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