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『冬時間のパリ』――デジタルと不倫を語り倒す!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『冬時間のパリ』は、電子書籍と紙の本の今後について、あるいは不倫について、出版関係者らがひたすら喋りつづける映画だ。事件らしい事件は何も起こらない。にもかかわらず、冬のパリを舞台に、彼・彼女らが繰りひろげる会話劇は興味しんしんで、片時も目が離せない。メガホンを取ったのは、フランスで最も才能豊かな現役監督の一人、オリヴィエ・アサイヤス(1955~)。

 おもな登場人物は、電子書籍ブームに頭を悩ます老舗出版社の編集者、アラン(ギヨーム・カネ)、彼が担当する友人の作家レオナール(ヴァンサン・マケーニュ)、アランの妻でレオナールと不倫関係にある女優セレナ(ジュリエット・ビノシュ)、レオナールの妻でデジタル機器にも詳しい政治家秘書ヴァレリー(ノラ・ハムザウィ)、さらにアランの部下であり彼の不倫相手でもあるデジタル担当のロール(クリスタ・テレ)、といった面々。

 こうした、2組の夫婦を中心にした人物設定のもと、デジタル化に席巻される今日の出版状況が、いかにもフランス的な不倫ドラマにからめて浮き彫りにされる(原題<Doubles Vies:二重生活>は、アナログとデジタル、ダブル不倫の二重性を暗示する)。おのずと映画は、さまざまなエピソードを断続的につらねる、軽やかなエッセイ風のスタイルとなる。

 したがって『冬時間』の最大の魅力は、本のデジタル化と不倫という、ともすれば深刻になりがちなテーマが、人物たちがひんぱんに交わす機知に富んだ言葉を通して、じつに軽妙に描かれる点にある。

『冬時間のパリ』『冬時間のパリ』の公式サイトより

 物語を要約すれば――レオナールが自らの不倫をネタにした新作小説を、アランは古臭いと言ってボツにする。彼らの関係はこじれるが、アランの妻セレナはレオナールの小説を評価し、夫の意見に反対する。だが皮肉なことに、その小説のネタはレオナールとセレナの不倫であった(巧みな喜劇的展開)。いっぽう、最近アランとうまくいっていないセレナは、出演中の人気テレビドラマの役どころ(武装警官)にもマンネリを感じていて、キャリア・アップを望んでいる。

 そんななか、デジタル化という時代の趨勢(すうせい)にあらがえず、アランのつとめる出版社にも買収の話が出ていることが、彼と出版社オーナーのマルク(パスカル・グレゴリー)の会話で示され、またレオナールが、なんとか新作の出版にこぎつけ、PR活動を開始する様子や、アランの不倫相手のロールが、バイセクシュアル/両性愛者であり女性の恋人もいたことなどが、簡潔なタッチで描かれる(彼・彼女らの不倫がいつ、どこでどのようにして発覚するかは、見てのお楽しみ)。

 そして、舞台は風光明媚なスペイン・マヨルカ島のアランの別荘に移り、2組の夫婦が穏やかに談笑する場面が示されたのち、レオナールの妻ヴァレリーの妊娠が明らかにされ、映画は何ごともなかったように淡々とエンディングを迎える――。

<深刻さ>を欠いた、スムーズな会話

 ここで、<深刻さ>が『冬時間』の会話劇からは払拭されており、話が少しも重くならない理由を、ふたたび考えてみよう。前述のように、ウィットに富んだ言葉そのものが、ドラマを軽妙にしている(たとえば電子書籍をめぐるアランのセリフ、「不倫も浮気も人それぞれ、アナログもデジタルも同じ」、「変わらぬために、変わるしかない〔ルキノ・ヴィスコンティ『山猫』より〕」)。

 加えて演出面で重要なのは、

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