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 オリヴィエ・アサイヤス自身は、前稿で触れた『冬時間のパリ』の主題の一つ、今日の書籍のデジタル化という趨勢をどう考えているのか。インタビューでの彼の発言を読むかぎり、是々非々どころか、彼は旗幟鮮明(きしせんめい)なデジタル反対派であり、アナログ/紙の本の確信的な支持者である。

 彼はこう述べている――「〔自分の著作を含めて、活字がスマホで読まれることは〕わたしは嫌ですね。(……)実際にはいまでも、ちゃんと紙の本を読み続けている人々は多いのです。電子書籍は思ったよりも普及していないように思えます。本は消えていくのか? 私はそうは思いません。楽観的な考えかもしれませんが、〔紙の〕書籍としての本は残り続けるだろうし、映画もちゃんと映画館で観られていくのです。そういったフィジカルな〔リアルな実在としての〕存在は、このデジタル革命の中でも消えずに、バーチャルなものと共存して残っていくのだろうと私は確信しています」(パンフレット)。

 アサイヤスが、『冬時間』の作家レオナール(ヴァンサン・マケーニュ)や女優セレナ(ジュリエット・ビノシュ)同様、紙の本を愛するアナログ擁護派であることに、正直ほっとする。パソコンやスマホなしの生活は考えられないほどデジタル漬けになっている私は、それでも電子媒体で活字を読むのが不得手だし、映画もできるかぎり映画館のスクリーンで観たいと思う。

 といったことはさておき、興味深いのは、『冬時間』やアサイヤスの近年の過去作には、デジタル機器に対するアンビバレンツ/相反感情が見て取れる、という点だ。たとえば、2017・06・13同・06・15の本欄でも論じた『パーソナル・ショッパー』(2016)。この、セリフの少ないオカルト・スリラー風の傑作で、セレブの服などの買い付け業者のヒロイン(クリステン・スチュワート)は霊能者でもあり、壁面に気体状の幽霊(エクトプラズム)を見たりするが、彼女にとって携帯電話、パソコン、タブレット端末、スカイプなどは、何か邪悪なものが侵入してくる“電子の窓”だ(彼女にある禁断の行為をそそのかす、unknown/見知らぬ男から届くテキストメッセージの不気味さは、虚実入り混じる情報がサイバースペースを飛び交う今日の情報環境の危うさを、如実に映す)。

パーソナル・ショッパー拡大『パーソナル・ショッパー』 (C)2016 CG Cinema=VORTEX SUTRA=DETAILFILM =SIRENA FILM=ARTE France CINEMA= ARTE Deutschland/WDR

 と同時に、彼女はデジタル機器の液晶画面に現れる超自然的/霊的なもの、「死後の世界」らしきものに取り憑かれてもいて、自分と同じ霊媒体質のスウェーデンの女性画家、ヒルマ・アフ・クリントの神秘的な絵に見入ったりする。こうしたヒロインのデジタル通信機器をめぐる相反感情は、アサイヤス自身言うように、“デジタルという神秘”をめぐる彼の相反感情――恐怖と魅惑――、ひいては電子機器が入り口となる、心霊的(スピリチュアル)で異次元な世界への強い関心の反映だろう。

 また、若手女優に主役の座を奪われるベテラン舞台女優、ジュリエット・ビノシュの葛藤を、演技の二重性――演じることを演じるというモチーフ――を、地のセリフと作中劇のセリフを見分けがたくする手法で幻惑的に描き出し、かつ、それにスイスのシルスマリアの谷沿いを雲が曲線状に流れる、“マローヤの蛇”という神秘的な自然現象を絡めた傑作、『アクトレス 女たちの舞台』(2014)においても、携帯電話やタブレット端末やスカイプのモニターが、何やら不吉な小道具として登場する(他方、『冬時間』では、全編がアナログな会話劇であるせいか、デジタル機器はほとんど登場しない)。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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