メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

「東京音頭」は4度死ぬ!? その1

【11】小唄勝太郎・三島一声「東京音頭」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

3度も〝死の危難〟に

 「はやり歌」とは世につれる〝社会的生き物〟である。したがって、そこには長短の差はあっても、おのずから寿命がある。世のうつろいと共にいつしか廃れて、死んでゆく。そして、一度死んだら生き返ることはめったにない。

 たまに「リバイバル」の僥倖にめぐまれても、甦ってから生き永らえる時間は、当然のことながら、以前よりは短い。ところが、それが「はやり歌」の宿命なのに、これまでに3度も死にかけて(いや、より正確にいえば「殺され」かけても)、そのたびにどっこい甦っていまも生き続けている唄がある。

拡大東京都内の盆踊り大会では今もほとんど必ず「東京音頭」で盛り上がる=2012年、8月17日、東京都千代田区の日比谷公園

 それが「東京音頭」だと言っても、おそらくほとんどの読者には信じてもらえないだろう。かくいう筆者も、今回調べてみるまでは、そんな数奇な運命もつ〝したたなか唄〟だったとは、思ってもみなかった。

 戦後の東京生まれで東京育ちの私にとって、「東京音頭」は、お盆になると「炭坑節」と共に流れてくる〝時季もの〟の一曲でしかなかった。しかも、ある「事件」があって以来、私の中では〝軟派で軽佻な唄〟となっていた。小学生時代に、

 ♪踊り踊るならチョイト東京音頭・・・

 の歌詞の最後に、次の囃子詞を大人たちの前で得意げに披露したところ、こっぴどく叱られたからである。

 〽おっとちゃんもおっかちゃんも元気だして、元気だして

 ワルガキ仲間の誰からか教わったものだが、もちろんそのとき、私はそれが夫婦間の「閨事」を茶化したものだとも知らず、なぜ叱られたのかもわからなかった。

 だから、そんな軟派で軽佻なイメージしかない「東京音頭」が3回も「殺されかけた」ほどの〝こわもての強者〟だったとは想像の外だった。では、いったい「東京音頭」は3度もどんな〝死の危難〟に遭ったというのか、それを順次、検証していこう。

唄:「東京音頭」(小唄勝太郎・三島一声)
時:昭和8年(1933)
場所:東京

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

前田和男の記事

もっと見る