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「東京音頭」は4度死ぬ!? その2

【12】小唄勝太郎・三島一声「東京音頭」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

唄:「東京音頭」(小唄勝太郎・三島一声)
時:昭和8年(1933)
場所:東京

歌詞の一部削除で〝禁歌〟を免れる

 昭和20年(1945)8月15日、日米開戦から4年、日中戦争から14年つづいた戦争がようやく終結した。新しく日本の統治者となったのは、マッカーサー元帥をトップに戴くGHQ(連合国軍総司令部)。それにともない、「東京音頭」は、コーンパイプをくわえた新しい統治者から新たな「死の危難」を突きつけられることになる。

 GHQには教育・文化・思想を統制するために検閲局が設置され、新聞・ラジオなの報道機関や出版をはじめ「歌舞音曲」も、戦前・戦中に「忠君愛国」の軍国主義イデオロギーを鼓吹する役割を果たしたと判定されると、検閲・禁止の憂き目にあった。

 それによりたとえばチャンバラ映画は上映禁止にされ、嵐寛郎や片岡千恵蔵などの国民的ヒーローも仕事を失い、往年の時代劇のフィルムにはハサミが入れられた。

 このGHQ検閲局に「東京音頭」も目をつけられた。嫌疑の矛先は、皮肉にも、戦時中、内務省の検閲対象から「東京音頭」の命を救ってくれた以下の歌詞たちだった。

 A面2番 ♪ハァ東京よいとこ チョイト日本照らす ヨイヨイ 君が御稜威(みいつ)は 君が御稜威(みいつ)は 天照らす
 A面5番 ♪ハァ君と民との チョイト千歳の契り ヨイヨイ 結ぶ都の 結ぶ都の 二重橋
 B面3番 ♪ハァ花になるなら チョイト九段の桜 ヨイヨイ 大和心の 大和心の 色に咲く

GHQの占領期には盆踊り中止で出番なし

拡大日本女性と盆踊りに興じる占領軍将兵=1947年10月4日、東京・丸の内
 しかし、不幸中の幸いというべきか、軍歌のように「全面禁止処分」にはされず、上記の歌詞の「削除」に応じるだけで生き延びることができた。

 したがって私たちが戦後に聞かされ歌いついできた「東京音頭」には、この歌詞は存在しない。ただし、なんとか生き永らえたものの、実態は戦時中と同じく〝死んだも同然〟であった。というのも、戦時中とは別の理由から、ほとんどの地域では盆踊りが中止されたままで、「出番」がなかったからだ。

 盆踊り自体はGHQから「禁止処分」にはならなかった。第9回の炭坑節でもふれたように、むしろ彼らが持ち込んだフォークダンスと共に推奨された。だが、戦前「五人組」などで軍国主義体制を下支えしたとして町内会が「解散処分」となった。多くの地域では町内会が盆踊りの実行組織であったため、盆踊りを復活させたくてもできなかったのである。

 一部では盆踊りが復活された地域もあったが、それは町内会を越えた地方自治体や警察など公的機関の働きかけによるものだった。ちなみに阿波踊りは敗戦翌年の昭和21年(1946)に早くも復活するが、それは徳島県警保安課が占領軍と折衝し、踊りの許可を得たからであった。

 GHQは、昭和22年(1947)に二度にわたって「町内会解散」の徹底を日本政府に執拗に求めている。名前だけかえて復活させる動きが後をたたなかったからである。それほどGHQは町内会を危険視していた。町内会が復活するのは、昭和27年(1952)4月、足かけ7年間におよぶ占領統治が終わるのをうけて、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」が公布されたことによる。これでようやく「東京音頭」にも出番が訪れるのである。

 ちなみに釧路市では、昭和30年(1955)に「第一回北海盆踊り大会」が開催されている。このことからもわかるように、日本各地で盆踊りが本格化するのは、GHQによる占領が終わってからだった。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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