駒井 稔(こまい・みのる) 編集者
1979年、光文社入社。1981年、「週刊宝石」創刊に参加。1997年に翻訳編集部に異動になり、書籍編集に携わる。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。「いま、息をしている言葉で」をキャッチフレーズに古典の新訳を刊行開始。10年にわたり編集長を務めた。筋金入りの酔っ払いだったが、只今禁酒中。1956年、横浜生まれ。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「団、団、団地のお嬢さん」。テレビから流れる歌のメロディを今でも覚えています。小学校に入る前のことでしたが、若い女性の歌声が耳に残っているのです。ネットで検索して、1961年、昭和36年の第3回日本レコード大賞新人奨励賞を受けた山中みゆきさんという歌手が歌った「団地のお嬢さん」という曲だということを知りました。
「団地」と「お嬢さん」。今日では、いささか奇異な感じのする言葉の組み合わせですが、団地がとてもモダンなイメージで歌われていた時代であることが分かります。1956年、昭和31年に発表された経済白書には有名な宣言が書き込まれていました。曰く「もはや戦後ではない」。「団地のお嬢さん」から3年後の1964年には、東京オリンピックが開催され、新幹線が開通して、経済が力強く発展していくことを子供ながら肌身に感じることができた時代でした。
団地の開発を進めてきた日本住宅公団ができたのが1955年、昭和30年のことです。まさに高度成長期に入ろうとしていた活力にあふれた時代。後に「失われた30年」などという言葉が生まれるとは誰も予想していませんでした。集団就職という形で、地方から「金の卵」と呼ばれた大量の若年労働者が都市部に流れ込み、製造業などに従事しました。1964年に井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」は彼らの心情を代弁する楽曲として人気を博しました。そして膨れ上がるばかりの都市の人口対策として、「団地」が出現したのです。
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