2020年02月06日
本稿第1~4回で、2020年の改定刑法見直しに向けて、いくつもの提案をしてきたが(一部に刑事訴訟法上の提案を含む)、他の関連法・制度の見直しも求められる。
おおまかに見て、次の諸点が問われる必要があるが、紙数の都合上、以下の(1)および(4)について(加えて若干(2)(3)について)記す。見直しの必要は、広義の刑事訴訟法である「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」や、学校教育法施行規則で規定された「学習指導要領」その他におよぶ。
(1) 致死傷をともなわない強かん罪をも、裁判員裁判で扱えるようにする
(2) 司法官の研修体制を整備し、裁判官に被害者および専門家の意見を聴取する義務を負わせる
(3) 性犯罪事犯に専門的に関与する専担裁判官の制度を創設する
(4) 性教育(性犯罪教育/AVへのリテラシー教育を含む)を拡充する
(5) ワンストップセンターへの予算措置を拡充する
(6) 加害者更生プログラムを充実させる
現在、性犯罪について裁判員裁判が行われるのは、致死傷罪を伴う場合だけである。だが、2019年3月に出された福岡地裁、名古屋地裁の無罪判決を見るかぎり、ひいてはそれと市民意識(良識)とのかい離が顕著であるかぎり、市民の良識をより広く性犯罪一般におし広げる必要性は高いと判断される。つまり、裁判員裁判を、致死傷罪をともなう性犯罪に限定せずに、性犯罪一般に広げる必要がある。
そもそも裁判員裁判のモデルともなった大陸系の参審制がそうだが、専門的裁判官にあってしばしば欠けがちな市民の常識を、裁判過程に反映させることがめざされていた。つまり、裁判官は法律や法律実務に通じているが、そうした専門性の形成がむしろ市民的良識をはばむ役割を果たしてきた側面が否定できない。ことに日本では、「市民生活」が裁判官に欠けがちであるという事実(岡文夫「野鳥の会に自由に入会したい」、日本裁判官ネットワーク『裁判官は訴える!――私たちの大疑問』講談社、1999年、116頁以下)が、その傾向を強めてきたと思われる。
私もそうだが、研究者としての研鑽を踏みつつ、しかしそれゆえにこそ現実社会から遊離する傾向が生じている事実に、ずっと忸怩(じくじ)たる思いをいだいてきた。この論稿を含めて、研究成果を文章化する際に常にこの欠陥を意識することが研究者には求められるが、裁判官の場合は、事犯に関わる当事者の人生に、直接・間接に多大な影響を及ぼす可能性が高いだけに、なおのことその必要が強調されなければならない。
裁判員裁判が導入されてからすでに10年をこえる。裁判官が「経験則」を合言葉に自分の経験――自分だけの狭い経験――を権威づけ、ひいては事犯に関連する事柄(ここでは性犯罪)について、まともな学習もせずにいる時、2019年3月に出された福岡地裁・名古屋地裁の無罪判決に見られるような無謀な判決が今後も出され続ける可能性がある。これは断じてさけなければならない。そのためにも、裁判官からは裁判実務に関する指導・助言を受けつつ、しかし事件の有罪・無罪の判断については、また日本の裁判員裁判においては有罪の場合の量刑のあり方について、市民的良識のはたらく裁判員裁判の拡充を図るべきであろう。
裁判官裁判の問題は、高裁・最高裁レベルでも問われるが、少なくともこの審級の裁判官をふくめ司法関係者の性犯罪に関する研修体制を整えること、もしくは性犯罪事犯については必ず専門家の意見を求めるよう義務づけることが重要である(杉田編『逃げられない性犯罪被害者――無謀な最高裁判決』青弓社、2013年、187~8頁)。
あるいは、困難な課題をより理想的な形で実現するために、性犯罪に関わる専任の裁判官を各審級・各所に置く制度を、そろそろ創設してもよいはずである。2011年に最高裁が出した逆転無罪判決(杉田編、前掲書)に見るような、あるいは最近の例で言えば2019年3月に福岡地裁・名古屋地裁で出された無罪判決にみるような、無謀な判決を下す裁判官――しかもまったくの非常識でそれを合理化しようとした――の現状を見るにつけ、そうした改革の実現は急務だと言わなければならない。
彼らは、被害者・研究者らによって蓄積されてきた性暴力に関する知識を、満足に持ち合わせていない。ことに
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください