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「ふつうの」展覧会ができるまで【下】

敦賀から府中へ、「美しい絵」がやってくる

金子信久 府中市美術館学芸員(日本美術史)

 3月14日から府中市美術館で始まる展覧会〈ふつうの系譜ー「奇想」があるなら「ふつう」もあります〉の裏側を同美術館学芸員の⾦⼦信久さんがつづる2 回目です(「上」はこちら)。「論座」では2月15日に⾦⼦さんが講師を務めるトークイベント「江⼾絵画の楽しみ」を開きます( 詳細・申し込みはこちら) 。なお、掲載している絵画作品はいずれも、「ふつうの系譜」に出品される( 会期中に展⽰替えあり) 、福井県の敦賀市⽴博物館の収蔵品です。

「あれ」を見落とすなんて……

 福井県の敦賀市⽴博物館に収蔵されている日本絵画は、江⼾時代なら⼟佐派などのやまと絵や、狩野派、円⼭四条派、明治のものも古いスタイルに縛られ続けた画家たちのものばかりだ。府中市美術館は、伊藤若冲(じゃくちゅう)ら「奇想」の画家や浮世絵ばかりが注⽬されている今だからこそ、このコレクションが持つオーソドックスな華やかさや渋い輝きを世に問いたいと、「ふつうの系譜」展を企画した。300点以上のコレクションから展示したい約90点を選んだが……

土佐光起「伊勢図」(部分)

 敦賀市立博物館で会議を開き、同館の方々に検討していただいた。「何か付け加えるべき作品はありますか?」と私からお聞きしたところ、先方から一つだけ、「土佐光起(とさ・みつおき)の《伊勢図》を入れたらどうですか?」と提案された。

 これは、完全に私の目が節穴だった。

 どうしてこんなにきれいな作品を入れなかったのか、と恥ずかしかったし、所蔵作品を熟知して愛を注ぐ、先方の学芸員にはかなわないと思った。

 平安時代の歌人として名高い伊勢を描いた絵だが、顔の縦の長さは3センチほど。実物を見れば、誰もが、その「小ささ」「描写の完璧さ」にびっくりするだろう。そしてこの作品が、のちにポスターのメインビジュアルとなるのである。

5カ月前に東京へ、写真はすべて撮り下ろし

土佐光貞「粟に鶉(うずら)図」

 開幕の5カ月前となる去年の10月には、展示するほぼ全作品を府中市美術館へ搬入することになった。図録の制作にあたって、全作品を新たに写真撮影するためである。

絵画を運ぶ美術品専用トラック
 普通、展覧会では、作品の所蔵先から写真を拝借して印刷物に使わせていただくので、こんなに早く作品をお借りすることはない。しかし今回は、敦賀コレクションの作品を集めた図録を制作するということで、特別なご配慮をいただき、府中市美術館の中のスタジオで撮影することになったのである。そうして同じ条件のもとで撮影すれば、1冊の図録の中で、図版の色みがきれいに整う。

 10月中旬、府中市美術館から私ともう1人の学芸員が敦賀にうかがって、敦賀市立博物館の学芸員と一緒に、作品を一点ずつ広げ、細かい傷みの状態や取り扱う時に注意しなければならない危険なところなどを点検して、調書を作った。それが終わった作品は、美術品搬送の専門業者のスタッフが、作品の状態に合わせて丁寧に梱包していく。

 3日間でその作業を終え、4日目の朝、美術品専用トラックに積み込んで、府中市美術館へ向かった。敦賀を発って、山を越え、トラックの後部シートから琵琶湖の北の余呉湖(よごこ)を眺めながら、ずいぶん長いあいだ東京に「滞在」することになる、自分の後ろにのっているたくさんの作品のことを思った。そして、その晩、府中市美術館の収蔵庫に無事に搬入した。

図録用の写真撮影の様子
眼光鋭く撮影を見守る東京印書館のプリンティングディレクター、高柳昇さん

 撮影は、その翌週の2日間。梱包を解くだけでも大変な屛風を含めて、約90点の作品を2日で撮ろうというのは、少し強気の計画ではあったが、美術作品の撮影に熟練しているカメラマンのチームと、私たち美術館のスタッフで協力して、無事に行うことができた。

 また、図録などの印刷物を制作する印刷会社、東京印書館のスタッフも立ち会った。東京印書館の有名なプリンティングディレクター、高柳昇さんは、撮影の様子を後ろの方から睨(にら)むように見ながら、時折手にしたメモに、色みの情報を書き込んでいる。その時の印象や記録を生かして、実物に近い発色になるよう調整していくわけだ。

ポスター、図録、音声ガイド、専門家の手を借りて

長沢蘆雪(ろせつ)「紅葉狗子(くし)図」
 12月の終わりには、ポスターやちらしも完成した。あの小さな伊勢の姿を実物の何倍もある大きさに引き伸ばそうという、驚くようなデザインを考え出したのは、今回のデザイナー、島内泰弘さん。普通では考えつかないアイディアだし、あまりにも小さな部分を拡大しなければならないため、最初に撮影した画像では解像度が足りず、後日、拡大して使う部分だけを再撮影しなければならなかった。

 しかし、出来上がったものを見れば、その美しさに納得だし、作者光起の凄腕を見せつけられる、とても意味深いポスターに仕上がったと思う。

 1月中旬には、図録の解説文などの原稿も徐々に出来上がってきた。今回は、敦賀の学芸員のお力もお借りして、計6人の執筆者が書いている。文章の内容や調子、表記もさまざまだし、情報の塊のような本なので、内容の確認も必要である。編集者の久保恵子さんが各執筆者と念入りに調整をしながら、完成した文章をデザイナーへと渡し、レイアウトが進められていった。

 そして今、図録は校正の真っ最中。日本美術展の図録では見たことのない「仮フランス装」の表紙も楽しみである。どんなデザインかは、府中市美術館でぜひお手に取ってご覧いただきたい。

 開幕まで、ほかにも色々やることはある。会場の壁の色を考えたり、作品の並べ方を計画したり、また、展示室で読んでいただく解説の用意や、音声ガイドの原稿もある。ということで、これからの1カ月余りは、展覧会場に来てくださる方々のための空間づくりや、作品との接点を用意するという、とても大切な仕事が待っている。

 「奇想」があるなら「ふつう」もあります……奇抜なものの面白みは、そうではないもの、つまり誰の目にも美しいと映るものがあってこそ、というのが、今回の展覧会のポイントだ。

 若冲や蕭白(しょうはく)のユニークな造形の陰で「地味」「ありきたり」と片付けられがちな、しかし典雅な、やまと絵や狩野派、円山四条派の作品が、ずらりと並ぶ。「奇想ではないものって、何?」という興味から見ていただいてもいいし、「きれいなものが好き」という方には、とにかく無心で展示作品と心を通わせていただけたらと思う。