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拓郎の「落陽」は炭鉱への挽歌である!?

【13】吉田拓郎「落陽」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

 私は戦後の第一次フォークソング世代である。〝青春真只中〟にあった往時の私は、岡林信康を主唱者とする関西発の反戦メッセージ派の愛唱者で、関東の吉田拓郎らの非政治系は軟弱すぎる「半体制」だと敬して遠ざけていた。

〝サイコロじいさん〟とは誰か?

「落陽」の歌詞には、「サイコロじいさんが、女の子みたいにテープを拾って見送ってくれた」とある

 その「癖」はいまも癒っておらず、行きつけのカラオケスナックで、同世代とおぼしきおっさんやおばさん、いや、もとい、じいさんやばあさんが、「♪僕の髪が肩までのびて・・・」とか「♪ゆかたの君はすすきの簪・・・」などと懐かしげにデュエットしようものなら、おもわず眉をひそめて行きたくもないトイレへ駈け込んでしまう。

吉田拓郎=1981年7月29日、日本武道館
 私にとってはそんな〝不得手〟なフォークシンガーである拓郎だが、その拓郎の楽曲のなかで唯一共感を覚える例外がある。それは昭和48年(1973)にリリースされた「落陽」である。

 若者が旅先で出会った奇妙な老人との束の間のエピソードを切り取ったこんな内容の唄である。

 たまたま知り合ったフーテン老人。苫小牧発・仙台行きフェリー乗り場まで見送ってくれ、女の子みたいにテープを拾い、別れ際にサイコロふたつをみやげにくれた。船中で思う。フーテン暮しのあのじいさんこそ正直者だ。この国ときたら賭けるものなどないんだから。どこかでまた会おう。身をもちくずしちまった男たちの話をまたきかせてくれ・・・

 そもそも私が「落陽」に惹かれたのは、この唄の主人公の〝サイコロじいさん〟のえもいわれぬ存在感ゆえである。

吉田拓郎「落陽」 作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎
 当時の私は、あやしげな〝サイコロじいさん〟を〝人生の触発をうけた先達〟として歌いあげる吉田拓郎と同年代。折しも前年にあさま山荘事件がおき、多くの若者たちが夢を仮託した「革命的状況」は根底から裏切られた。私もその一人だった。思えば、私の中に胚胎しつつあったそんなやるせない気分が、いっそうこの唄と〝サイコロじいさん〟を身近なものに感じさせたのであろう。

 あれから半世紀近くがすぎ、私は〝サイコロじいさん〟の歳になり、「落陽」はまた別の味わいをもってわが身に迫ってくると共に、改めて謎がわいてきた。いったい〝サイコロじいさん〟とは誰なのか? 今回はその謎解きに挑戦してみようと思う。

オマージュの対象は拓郎にあらず。作詞の岡本おさみにあり!

 と、偉そうな前口上を申し立てたにもかかわらず、のっけから筆者の無知と浅学をお詫びしなければならない。

岡本おさみ=1977年10月11日
 それもこれも、冒頭の「わが青春の述懐」で記したように私が「拓郎ファン」でないことのなせるわざでもあるのだが、吉田拓郎は、言葉の正確な意味では「シンガーソングライター」ではない。すなわち、拓郎は、
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