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『リチャード・ジュエル』と『テッド・バンディ』、主人公の人物像に迫る

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

“冤罪犠牲者”と殺人鬼がもつ、<法>への執着

 もうひとつ、ジュエルとバンディの微妙な類似点は、<法>や<規範>への執着である。前述のようにジュエルは、<法>をじつに無防備、かつナイーブ(素朴)に内面化しており、幼い頃から警官や捜査官といった、公権力の番人に憧れ、「法執行官」を自認していた射撃好きのガン・マニア(銃の収集家)だった。事実、そうした<法>への極端な執着ゆえに、彼は地元のピードモンド大学の警備員時代、高速道路でトラックの荷物検査を強行するという“過剰警備”のために、大学当局によって解雇されている。

 芝山幹郎は、そうした、善良で素朴なジュエルが抱え込んでいる心の屈折について、的確に分析している。要約すれば――リチャード・ジュエルのメンタリティにはいかがわしい部分があり、彼は「セキュリティ・マニア」という一種の問題児で、公権力が支給する制服に憧れ、世間の違法行為を取り締まる仕事を切望し、つまりは、「自分はまっとうな人間である」という保証を、権力の側から取りつけたがっていたが、むろん、それはいびつなオブセッション(強迫観念)であり、公権力を養父と勘ちがいした孤児の錯覚、と言いうる心性である――(パンフレット)。

 つまるところ、リチャード・ジュエルは善人ではあったが、作中で「母親と同居している醜いデブ」などとキャシー・スクラッグス記者に揶揄されるような、恋人のいない/性的魅力に乏しい孤独な白人貧困層の男であった。

 畢竟(ひっきょう)ジュエルは、自らの外見や階層に対する劣等感ゆえに、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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