勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ対策として、安倍首相が全国の学校を春休みまで臨時休校とするよう突如要請したことが、大きな波紋を広げています。
とりわけ、共働き家庭やひとり親家庭は、日中に子供をケアできる人員が物理的に家にいないため、休校による影響が非常に大きく、以下のように悲鳴をあげる親も少なくありません。
・「長期の臨時休校、子供の世話はどうする? 働くママ悲鳴」(読売新聞「大手小町」 2020年2月27日)
・「「子供はもちろん大切、でも仕事どうしよう」臨時休校で対応に追われる母親…政府のサポートは充分?」(FNN PRIME 2020年3月3日)
・「休校要請に教育現場は戸惑いや混乱、悩む働く母親」(日刊スポーツ 2020年2月29日)
このような状況を理由に、首相が臨時休校を唐突に進めたことに対して、「病院勤務の看護師が働けなくなってしまう! 結果的に医療インフラの脆弱化を招いてしまう!」という批判も散見されました。
ところが、これらのニュースに対して、私は強い違和感と不快感を覚えずにはいられませんでした。気が付いた方もいるかもしれませんが、主語がいずれも「女性」になっているからです。
ひとり親家庭でないならば親は二人いるはずなのに、“働くパパ”や父親はいったいどこに行ったのでしょうか? 学校に行けなくなった子供たちの“親”をやっていないのでしょうか? なぜ臨時休校で“こころナーバス”になるのは女性ばかりなのでしょうか?
前回の記事「夫婦別姓はまだダメらしいので、苗字はコイントスで決めませんか?」でも書いたように、多くの父親が育児を当事者の問題として考えず、妻に押し付けたままという日本社会の歪みが、臨時休校という非常事態で一気に表に噴き出したように感じます。