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戦中派と戦後派を共感でつなぐ〝詠み人知らず〟の元軍国歌謡

【15】ペギー葉山「南国土佐を後にして」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

 「集団就職と流行り唄」について、さらに素材と視座を変えて検証を続けようと思う。前回の井沢八郎の「あゝ上野駅」の追究だけでは、いささか一面的かつ平板すぎたかもしれないと思い直したからである。

望郷歌の舞台はなぜ「東北の寒村」ばかりなのか 

拡大「南国土佐を後にして」2番の歌詞で「月の名所」とうたわれた桂浜=高知市

 そもそも地域的な偏りに問題があったかもしれない。ちなみに「上野駅」は、あくまでも「北と東」からの集団就職の若者たちにとっての到着駅でしかない。いうまでもないことだが、「金の卵」たちは、西日本からも大都市へと呼び寄せられた。西からも就職列車が仕立てられ、彼らは途中の大阪や名古屋で下車しながら、最後に東京駅のホームに降り立った。

 たまたま関連資料をあさっていたところ、『昭和の貌 《あの頃》を撮る』(写真:麦島勝、文:前山光則、2013年、弦書房)に行きあたり、熊本駅と八代駅の集団就職列車の出立風景につけられた次の「解説文」に、はっと虚をつかれた。

 八代から球磨川を五十キロほどさかのぼった人吉盆地で育ったが、少年時代の一時期、「自分にはふるさとがない」と思いこんでいた。(略)そのような幼稚な思いこみをしていたかと言えば、流行歌からの影響が大きかった。(略)それは北の方の、寒くて、家には囲炉裏があって、畑にはリンゴが植えられているところでなくてはならない、ことばも九州弁でなく東北弁でないとふさわしくない、というふうにふるさと像が刷り込まれていたのである。

 なるほど、「♪おぼえているかい故郷の村を/都へ積み出すまっかなリンゴ・・・」の三橋美智也の「リンゴ村から」(1956年)が典型だが、戦後歌謡のメインストリームである「望郷歌」では[東北の寒村]というイメージが定番の「書き割り」になっている。

 そこで、「地域的偏り」をただすべく、行きつけのカラオケスナックで、西日本出身の常連に聞いてみた。

 「東京の西を舞台に集団就職をうたった唄はあるだろうか?」

 すると、すかさず「ペギー葉山の『南国土佐を後にして』」と返ってきた。「どこが」と問い返すと、常連は、「♪都へ来てから幾歳(いくとせ)ぞ」と口ずさんでみせた。

 これには私は意表をつかれた。「南国土佐を後にして」はもともと中国大陸で戦う日本兵の間で自然発生的に生まれたといわれる。私にとって、「南国土佐を後にして」は、後に述べるように元職業軍人の父親が私の前で愛唱した唯一の戦後歌謡だったからだ。

 「それは軍国歌謡のリバイバル・ソングだろう」と言うと逆にきょとんとされた。「元唄」の存在がカラオケフリークの間でも知られていなかったことに私は驚きながら、調べてみると、たしかに集団就職世代の一部には彼らの「人生の応援歌」と受け止められているらしい。

歌:「南国土佐を後にして」
時:昭和34年(1959)
場所:高知市

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

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