映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』から自決への道
2020年03月24日
新型コロナのおかげで、映画館はどこもすいているのに、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は公開初日の3月20日に日比谷で見たが満席だった。
映画館の周辺も、ロビーも客席も、マスクをしている人ばかりなので、まるで「集会」に来たみたいだった。この時期に公開するのは数カ月前に決まっていたはずだから、みんながマスクをつける状況になったのは偶然なのだが、天に意思があるかのようだ。
1969年5月13日に、三島由紀夫が東大駒場キャンパスで、東大全共闘と討論会を開いたことは有名で、その翌月には新潮社が本にしている(後、角川文庫『美と共同体と東大闘争』)。したがって、討論会の中身は、「この映画によって初めて全貌が明らかになった」わけではない。しかし、活字と映像とは、やはり大違いだった。
なんといっても、最大の発見は、三島由紀夫がとても楽しそうだったことだ。右翼の三島と、左翼の全共闘――まさに、敵同士の対決、激論のはずだ。それなのに、三島は終始、楽しそうなのだ。
司会をしている学生は緊張しているが、三島には、任侠映画の高倉健のように敵地に単身乗り込んできた、という悲壮感も昂揚感もない。
まず、そこは「敵地」ではなかった。三島にとって東大は母校であり、そこは懐かしい場所なのだ。思想的・政治的には敵対しているかもしれないが、東大全共闘の学生たちは、彼にとっては後輩である。一種の同窓会気分が、三島からは感じられる。
当時の三島は、私的軍隊である楯の会を結成し、そこには学生が集っていた。自衛隊の体験入隊などでともに汗を流し、同じ釜の飯を食った同志たちだ。しかし、彼らは東大生ではない(会員全員の大学を確認していないが、早稲田が多く、東大生の有名会員はいないはずだ)。
三島を尊敬し、崇拝している学生たちは、「三島先生」と呼び、そこには師弟関係しかない。対等に議論できる関係はなかっただろう。
自分を崇拝してくれる青年たちに囲まれているのは、三島には居心地のいい空間だったかもしれないが、物足りなさも感じたのではないか。
そこに、母校の東大から、討論会への誘いがあった。思想的・政治的には相容れないが、三島は、対等に論じあえる相手を得たことに、明らかに喜びを感じている。東大という空間と、後輩たちとの討論という時間を、三島は楽しんでいる。
三島が楽しいんでいるのも「発見」だったが、この映画での違和感というか衝撃は、男しか出てこないことだ。
壇上で三島と討論するのも男子学生だけだし、客席にいる1000人近い学生も、男子ばかり
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