野村義男、たのきんトリオのジャニーズ史的意義
シブがき隊、少年隊、そして光GENJIブーム
前回は、たのきんトリオ以降の1980年代ジャニーズとして、シブがき隊、少年隊、そして光GENJIについて述べた。その流れのなかで、男性アイドルの歴史を塗り替えることになるSMAPが登場する。今回は、そのSMAPの結成からブレークまでを振り返ってみたい。

SMAPは男性アイドルの歴史を塗り替えた
スケートボーイズからSMAPへ
先輩グループのバックダンサーを務めながら経験を積み、ファンからも存在を認知されていくジャニーズJr.の仕組みについては改めて繰り返すまでもないだろう。そして光GENJIのバックで踊るJr.のなかには、2つのグループがあった。平家派とスケートボーイズである。
平家派には城島茂(TOKIO)や坂本昌行(V6)など現在もジャニーズで活躍するメンバー、また後に俳優・反町隆史として有名になる野口隆史も所属していた。ただこれもジャニーズの通例として、メンバー編成は固定されず流動的だった。その点はスケートボーイズも同様で、国分太一(TOKIO)などはスケートボーイズだけでなく、平家派のメンバーだった時期もあった。
だがそのうちスケートボーイズは、12人でアイドル雑誌などに登場するようになる。そうした際に使われていたのが、「SMAP時代のスケートボーイズ」というフレーズだった。
「SMAP」とは、「Sports Music Assemble People」の頭文字を並べたもの。「スポーツと音楽が人びとを結びつける」とも「スポーツと音楽で集う人びと」ともとれるが、いずれにしても光GENJIのローラースケートパフォーマンスを念頭に、“スポーツと音楽の融合”を次世代に継承しようという意図がうかがえる。
そして1988年、その「SMAP」をグループ名に冠したグループが結成される。メンバーはスケートボーイズとして活動していた中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾の6人。1972年生まれの中居と木村が高校1年生、稲垣と森が中学3年生、草彅が中学2年生、そして香取慎吾は小学6年生だった。