2020年03月31日
NHK朝ドラ「スカーレット」の最終回、ヒロイン喜美子(戸田恵梨香)の息子・武志(伊藤健太郎)が死んでしまった。白血病とわかってからも陶芸をし、恋人もできた。最終回でも彼の日常が淡々と描かれ、「武志は、26歳の誕生日を前にして旅立ちました」というナレーションが入るだけだった。
静かに喜美子の人生を描いていく。そういうドラマだったと終わってみれば思う。「静かに」の意味は後々書いていくが、見ている最中はモヤモヤしていた。モヤモヤのありかがよくわからず、結果、感情があまり動かない。そんなドラマだった。
12月までの前半は少し違った。感情が、ストーリーへの共感には結びつかないものではあったが、わきあがってきた。喜美子の父・常治(北村一輝)の横暴ぶりに日々、怒りが込み上げてきた。喜美子の行く手を妨げ、ちゃぶ台をひっくり返す。一体なんだと義憤にかられ、本サイトでもそのことを書いた。
前半の最終週で、父が亡くなった。1月から始まる後半のキーワードは「自由」ではないか。そんなことを書いた。期待したのだ、父という重石が取れてからの喜美子の活躍に。父親ゆえ乗り切れなかったストーリーに、後半こそ共感できるのでは、と。
そして後半、喜美子は活躍した。陶芸家として名声を得ていった。だが、乗れなかった。モヤモヤした。「隔靴掻痒」という言葉があるが、痒いのかどうかもわからず、わからない何かを、靴を隔てて見ている。そんな感じだった。
この気持ちは何だろうと、最終週に気合を入れて考えてみた。「つまんないよー」というストレートな感情がわいてくることもない、正体不明のモヤモヤ。その正体を知るため、「読書感想文」という課題を与えられた生徒のように、まずテーマから考えてみることにした。このドラマは、何を訴えようとしていたのだろう、と。
私なりの答えは、「芸術家が作品と引き換えに得る孤独」だった。正解かどうか、わからない。だが、喜美子は活躍するにつれ、確実に孤独になっていった。陶芸家として自立していく過程で夫・八郎(松下洸平)が去り、離婚して育てた一人息子も、最後に亡くなる。
喜美子は自ら「孤独」は語らない。「テーマ」を語るなど、ダサいだろう。だが振り返れば、「喜美子は孤独ですよー」「それがテーマですよー」と激しく示唆する週もあった。烏丸せつこが演じるアンリという女性が2週間にわたり登場した。「意味不明」と思いながら見ていたが、彼女は喜美子の寂しさをストレートに口にしていたのだ。
生きとし生けるもの、すべてが抱える思い。それが孤独だ。テーマとして、すごくいい。それなのに、はがゆいドラマだったのはなぜだろう。感想文をもう一歩進めるため、そのことを考えた。結論はこうだ。朝ドラのヒロインは「天才」か「女性」か。その問題を内包していたから、「スカーレット」ははがゆくなった。
順を追って説明する。
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