有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教
日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
江戸時代の物語、絵画から、現代の山村浩二アニメーションへ
「夢応の鯉魚」は、いわゆる「臨死体験」が描かれていてゾッとしたり、鯉になった興義が食べられそうになる緊迫感にハラハラしたりと、手に汗握る要素もあるが、筆者は、興義が鯉になって琵琶湖の水中を自由にめぐるロマンチックな場面が、見どころのひとつだと思っている。
現代語訳で記す。
三井寺近くの湖のさざ波に身をゆらゆらと乗せて、志賀の入江の水際を泳ぎ遊べば、裳裾を濡らして浅瀬を歩く人の足の往来に驚かされ、比良(ひら)山の高い峰が影を映す、深い水底に思いきり潜ってみれば、身を隠しにくいという堅田(かただ)の漁火が美しく輝いて、ついふらふらと惹きつけられて行くのも夢心地。
真っ暗な夜中になって、その名も同じ夜中の入江に影宿す月は、明るく鏡山の峰にかかって鏡のように清みわたり、八十(やそ)の数多い湊湊の隅々まで照らし出される光景の口に尽くせぬおもしろさ。
伊吹山から吹き下ろす朝風に夜が明けて、朝妻の湊から漕ぎ出した旦妻舟(あさずまぶね)の櫓(ろ)の音に、蘆間で憩っていた眠りを覚まされ、のどかな矢橋(やばせ)の渡し船の水棹に遊んですいと遁れて、今度は瀬田へ泳いで橋守の足音に追われたのは幾十度(いくそたび)であったことか。
(『新編日本古典文学全集』78、小学館より、抜粋)
しばしば絵画に描かれる近江八景の様子はもちろん、和歌に詠まれる伝統的な名所をふんだんに詠み込むことで、琵琶湖周辺の美しい景色を読者に想像させ、さらに昼から夜へ、そして朝へという時間のうつりかわりを幻想的に描写して、自然の豊かな表情を感じさせる。
しかも魚となった興義の目線で語られることによって、水深く潜って湖底から水面を眺めたり、浅瀬で人の気配に驚かされたりといった、普通であれば得難い感覚を、読者も共有することができるのである。
原文はリズムも心地よいので、文庫本などを手に取られた際には、是非声に出して読んでいただきたい。
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