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新型コロナで公演中止、その決断に至るまで

小劇団のリアル、その後【上】

シライケイタ 劇団温泉ドラゴン代表、劇作家、演出家、俳優

初日前日、一番避けたかった決定

 3月11日に「小劇団のリアル」と題した原稿を当サイトに寄稿しました。

   新型コロナで自粛続く演劇界、小劇団のリアル

   新型コロナ、公演自粛の嵐の中で演劇を考えた

 2月26日に安倍首相より出されたイベントの自粛要請を受けて、4月1日に初日を迎えようとしている我々の稽古場で何が起こり何に悩んでいるかを、金銭的なことも含めて出来る限り具体的に書かせていただきました。大きなお金の動く3月15日の大道具発注期限を、上演するかどうかの最終決定をするタイムリミットに設定していることも書きました。

 掲載日から間もなく1カ月になろうとしています。この間に、世界を取り巻くコロナウイルスの情勢と、それに伴う世の中の在り方が全く変わりました。文字通り、全く。

 以下に、11日掲載原稿の中から一部抜粋します。

 僕たちの稽古初日は、3月3日でした。メディアから得られる情報はバラバラで、専門家の見解も全く統一されていませんでしたので、その時点で1カ月先のウイルスの情勢を僕たちが予測するのはあまりにも困難でした。

 劇団員で相談し、1カ月後には収束に向かっていることを祈りながら、稽古場の換気や消毒を徹底して、稽古を開始することにしました。

 しかし、「稽古を開始する」イコール「必ず上演できる」と決まったわけではありません。

 この先の1カ月の間に、ウイルスがどうなっているのか、誰にも分からないのです。僕らにとって一番避けたいケースは、「直前まで稽古を続けて上演できない」ことです。

 「直前まで稽古をした状態」ということは、「作品が完成している状態」ということです。その状態での中止は、心理的にも金銭的にも相当なダメージを受けることになります。場合によっては、立ち直れないほどのダメージになるかもしれません。

『SCRAP』公演のちらし
 結果は、文中にある「僕らにとって一番避けたいケース」になってしまいました。初日の前日、3月31日に断腸の思いで公演中止を発表するに至ったのです。

 3月15日に大道具を発注した時点ではもちろん、この様な事態になるとは思いもしませんでした。当初11日までだったイベント自粛要請は19日までに延びていましたが、20日からは各種イベントや演劇の公演も再開すると思っていたし、事実そうなりました。

 (この期間のことを書くのは本当に苦しく難しいです。まさに日を追うごとに、刻一刻と状況が変化していきました。20日から公演を再開した舞台やイベントも軒並み、その後再びの中止を余儀なくされています)

 劇団内でも協議を繰り返し、考えられる限りのウイルス対策を行い上演しようとしていました。

 具体的には、マスクを持っていないお客様への配布(そのために1枚100円のマスクをネットで500枚購入)、入場者全員に対する非接触式体温計による検温の実施、次亜塩素酸による会場の消毒、入場時お客様の手指の消毒、大型加湿器を複数台レンタル、最前列の廃止、換気の為の途中休憩の実施、などです。

 毎日稽古前と稽古後に稽古場の消毒をし、全員にマスクを配り、次亜塩素酸水を入れたスプレーボトルを複数本常備し手指の消毒を徹底し、休憩時間にはドアと窓を開放し、稽古を続けました。

3月26日夕:劇場から日程変更の打診

温泉ドラゴン『SCRAP』の稽古をする出演者

 稽古中は、世の中の動きに鈍感になります。一日中稽古場にこもりっきりになり、作っている作品のことで頭がいっぱいでテレビなどもあまり見なくなるからです。よしんば情報が入ってきたとしても、何よりも作品作りを優先させてしまうという逃れがたい性質があることも自覚しています。

 ですから、23日に小池都知事がイベントの自粛要請期間を4月12日まで延長したことも、オリンピックの延期が決まった3月24日を境に都内の感染者数が跳ね上がっていることも、イタリアで死者が5千人を超えていることも、情報としては知っていましたが、我がこととして捉えることがなかなかできずにいました。

 そして26日。その日は18時から通し稽古を行う予定になっていました。その通し稽古が始まる直前、稽古場には来ていなかった制作担当者から劇団員だけが見ることのできるグループラインにメッセージが入りました。

 「劇場から連絡があり、可能であれば公演を4月13日以降にずらせないかとのことです」

 といった内容でした。自粛要請期間が12日まで延長になったので、それが明ける13日以降に後ろ倒し出来ないか、ということです。

 「稽古場に直接説明に出向きたいとおっしゃってます」

 ともありました。

 僕を含む劇団員は青くなりました。しかし、「中止してくれ」ではなく「可能ならずらせないか?」という言葉に、まだ予定通り上演できる可能性が残っている、と感じました。

 我々の劇団のことを少しご説明させていただくと、俳優は3人しか在籍しておらず、公演ごとに劇団外からゲスト俳優を招く必要があります。今回上演予定だった『SCRAP』は総勢12名の出演者ですので、9名のゲストを招いていました。また、音響や照明などのテクニカルスタッフも劇団にはおりませんので、全てのスタッフを毎回外注しています。

 出演者からスタッフまで劇団員だけで成立している公演ならまだしも、劇団以外の方全員を、予定よりも2週間以上長く拘束することなど、スケジュール的にも金銭的にも現実的には不可能です。ですので、劇場からの提案である「4月13日以降に後ろ倒しする」という選択肢は、我々にとっては非常に困難なことなのです。

 制作担当者に聞いても、その時点でそれ以上の情報はありません。取りあえず、予定通り通し稽古は行うことにして、その日の稽古が終わった後、劇場の方に稽古場に来てもらうことにしたのです。

3月26日22時:行政と現場、板挟みの劇場

稽古場でのシライケイタ=スズキヨシアキ撮影
 通し稽古を見ながら、気が気ではありませんでした。そのことを知っているのは劇団員のみ。ゲストの皆さんとスタッフには言いませんでした。言えば稽古になりませんから。

 稽古が終わった後、ゲストの皆さんに話しました。本当は、劇場側と話をしてハッキリとしたことが分かってから伝えたかったのですが、22時には劇場の方が来てしまうので、それまでに稽古場を出てもらわなければなりません。いつもは自主稽古などで遅くまで残っている俳優もいるので、今日はこういう事情なので22時までに退出して下さい、とお願いしました。

 稽古場は重たい空気に包まれました。それまでも「もしかしたら上演できないかもしれない」という懸念は常にありましたが、それを必死に胸の奥底に沈めて稽古に励んでいました。それが、突然現実的な不安となって噴出し、稽古場を襲ったのです。目に涙を浮かべて、「どうか予定通り上演できるように話をつけてください」と訴えてくるゲストもいました。

 そして22時、劇場の担当者2名が我々の稽古場にやってきました。話の内容は事前に制作から聞いていた以上のものではなく、「都の強い自粛要請により、上演を延期してくれないか」というものでした。我々が上演を予定していた東京芸術劇場は都がつくった公立の劇場ですので、都の強い意向を伝えに来たのでした。

 「劇場を閉鎖するのですか?」

 と質問すると

 「閉鎖はしない」

 という返事が返ってきました。

 「閉鎖をしないということは上演できるということですか?」

 と聞くと

 「うーん……」

 と困ってしまう、というようなやり取りが続きました。

 この時の雰囲気をその場にいなかった人に説明することはとても難しいのですが、よく話を聞くと劇場も、都からの強い要請と、劇場としての矜持と、我々現場との複雑な板挟みに困っているような様子が見受けられました。

 僕がその時に劇場側から感じたものを言葉にするなら、「劇場の方針としてはなるべく演劇の灯を消したくはないが、都の強い自粛要請を現場に伝えざるを得ない」という、苦しいものだったと思います。

 誤解のないように書き添えますが、劇場側はどこまでも我々に同情的で協力的でした。数週間から数カ月の間で、いくつもの振り替え候補日を提案して下さり、もし公演を中止にした場合は劇場費の全額を返金し、必ず近い将来公演を実現できるようにサポートする、とも言って下さいました。

「それが我々の仕事だから」 

 しかしその申し出を、その時の我々は断ることになります。

 理由は簡単です。先ほども書いた通り、数週間後に延期したとしても俳優とスタッフのスケジュール確保が難しいうえ、コロナの情勢によっては再びの延期または中止を余儀なくされる可能性が低くないこと。そして数カ月単位の延期は、僕を含めた劇団員全員が空いている時期を探すと、早くても一年半以上先になってしまうからです。そんな先の時期に今回のメンバー全員が揃う保障はどこにもありませんし、仮に揃ったとしても、それはとても「延期」と呼べるものではなく、一からまた新たに作り直すことになります。

 そして「自粛の要請」のみで保障も示さず、あくまでも現場の判断に任せる行政の態度に納得がいかない思いも強くありました。なによりその時点では、劇場は閉めないと言っていました。劇場が閉鎖さえなければ公演することは可能なのです。

 もう一つだけ誤解のないように書いておきますが、中止または延期した場合の金銭的な損失のことを考えて、上演を決定したわけではありません。

 なぜなら、コロナの影響で既にチケットのキャンセルが相次ぎ、集客が大幅に落ち込んでいたからです。上演したとしても客席はガラガラで、大きな赤字になることは目に見えていました。金銭的なことだけでいうなら、その時点では「進むも地獄、戻るも地獄」という状態でした。

 ですので、その時我々が上演を決めた理由は、「それが我々の仕事であるから」とか「それが我々の存在意義であるから」といった原則論的で、かつ観念的なものに支配されていたから、と言えるかもしれません。

 こうして我々は予定通り、4月1日~5日のスケジュールで幕を開けることを決定し、劇場側もそれを受け入れて下さり、その日の会談は終わりました。

劇団温泉ドラゴン『SCRAP』(シライケイタ作・演出)の舞台装置(松村あや美術)。1958年の大阪を舞台に在日コリアンらの群像を描く=宿谷誠撮影

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