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コロナ自粛、文化芸術への補償の根拠は

劇場、映画館は“パブリック”な場、民主主義に欠かせない

馬奈木厳太郎 弁護士

 前稿で、新型コロナウィルス感染症の拡大と自粛要請を受けて、舞台芸術と映画が大打撃をこうむっている現実と、関係者らによる補償を求める運動を紹介しました。今回は、どうしてそうした補償がなされなければならないのかについて、私の考えを述べたいと思います。

補償を求めるのはおかしなことか

 補償を求める人たちには、〈自粛と補償はワンセット〉という意識があります。これは、より正確には、〈自粛の要請って、実際には「他粛」でしょ、だったら、あなたの要請で我慢しているのだから補償しなさいよ〉という、ある種の直観に支えられているといえそうです。

 この「他粛」という発想に着目して、なぜ補償が必要なのかを考えたいと思います。

 手がかりとして、憲法の考え方をまずは確認しておきたいと思います。

 憲法29条3項は次のように定めています。

 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 この条文は、私有財産を公共の目的のために用いることができるとしていますが、同時に、損失補償が必要であるともうたっています。

 損失補償とは、国家の適法な侵害に対して、公平負担の理念からその損失を補填することだと一般には解されています。そして、その損失が公平に反する場合、すなわち「特別の犠牲」だと評価されるような場合には、補償がなされなければならないと考えられています(補償と似て非なる言葉に賠償というものがあります。これは法律の世界では、適法な行為による損害を補填する場合に用いられる補償とは異なり、違法な行為による損害を補填する場合に用いられています)。

 わかりやすくいうと、特定の人に対して、特別に財産上の犠牲を強いることになるような場合に、補償が必要だということになります。

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筆者

馬奈木厳太郎

馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう) 弁護士

1975年生まれ。大学専任講師(憲法学)を経て現職。 福島原発事故の被害救済訴訟に携わるほか、福島県双葉郡広野町の高野病院、岩手県大槌町の旧役場庁舎解体差止訴訟、N国党市議によるスラップ訴訟などの代理人を務める。演劇界や映画界の#Me Tooやパワハラ問題も取り組んでいる。 ドキュメンタリー映画では、『大地を受け継ぐ』(井上淳一監督、2015年)企画、『誰がために憲法はある』(井上淳一監督、2019年)製作、『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』(平良いずみ監督、2020年)製作協力、『わたしは分断を許さない』(堀潤監督、2020年)プロデューサーを務めた。演劇では、燐光群『憲法くん』(台本・演出 坂手洋二)の監修を務めた。

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