あえて外出自粛しない「フリーライダー=タダ乗り」の論理
2020年04月15日
前回の記事「彼らは新型コロナ緊急事態宣言下でもなぜ自粛をしないのか」では、出勤等で外出抑制ができない人に加えて、自粛をせずにあえて外出する人も、政府の体たらくに原因があるという話をしました。自粛をしない人もある種の合理的な選択をしており、それゆえ単なる自粛要請では止めることができないのです。
さらに今回問題にしたいのは、外出自粛をしない彼らの多くが「フリーライダー=コストを支払わず制度の恩恵をタダで受けている人」であるという点です。彼らには「行動制限を徹底することで被る損失」がありません。にもかかわらず、自分や家族が感染しない限り、他の人たちの行動制限によって生まれる一定の感染抑止という恩恵(利益)に十分あずかっています。
そういう意識や、自分だけ抜け駆けしようという明確な“悪意”があるか否かは別として、実際に他人の生み出した利益にタダ乗りしていることは間違いありません。
つまり、彼らフリーライダーは、「規律を守る人や同調圧力に弱い人には行動制限を徹底して、感染拡大防止に努めてもらった上で、自分は本格的に危機が来るまで外出を続ける」という、ある種最も合理的な戦略を取っているのです。
ですが、彼らを放置すると、家に籠もっている人から、「自粛している自分たちはバカみたいじゃないか! もうやってらんないよ!」と、行動制限の放棄が続出する可能性もあります。既に「自粛したほうがいいに決まっているけれど、ほかの人が出歩いているうちは自分だけ自粛しても損をするだけだ」と感じている人もいるでしょう。逆に、この鬱憤が原因となり、衝突や暴力沙汰が起こる可能性も十分あるはずです。
しかし、自粛しない人たちを「利己的だ!」と断じるのは簡単ですが、物事はそう単純ではありません。
日本政府の中途半端なやり方ではフリーライダーが続出するため、諸外国よりも感染拡大期が長期化するだろうと予測し、多少行動制限はしつつも、なるべく「自粛疲れ」を起こさないよう、今は自ら緩い制限に留めておく。これも、ある種「自分の身を守る行動」であり、合理的な選択と言わざるを得ないからです。
ひたすら家の中に籠もるというのは活動的な人間には大きなストレスがかかることです。彼らが「本格的に危ない時が来るまで、もしくはフリーライダーをしっかり抑制し、これならピークアウトの兆しが見えそうだと思える効果的な対策が打ち出されるようになるまで、徹底的な制限はしないでおく」という選択も、個人の生存戦略として責められるものではないでしょう。
このような行動を取らせるのは、自粛要請を長期化させている政治が原因にほかなりません。彼ら個人はあくまで“環境”に適合した戦略を取っただけであり、“環境”を作ったのは政治なのです。
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