2020年04月16日
「家から出ないと俺ダメですね。しんどい」
「終わりが見えないし、コロナについて調べれば調べるほど不安になりますよ」
「ストレスたまりません?」
先日、新型コロナウイルスの影響で自宅にこもりきりの友人から、SNS経由でこんなメッセージが届いた。こちらは仕事中だったので、次から次へと届く不安のメッセージにやや戸惑ってしまったのだが、とはいえ気持ちはわからないでもなかった。
物書きという仕事柄、普段から家で仕事をしている私はきっと、彼にくらべれば「家にこもること」への耐性がついているのだろう。なにしろ、「集中しすぎて1日ずっと家にいた」ということも珍しくないのだから(それではまずいので、なるべく外に出るよう心がけてはいる。いまは、それすら難しい状況なのだけれども)。
だが彼がそうであるように、日ごろから家にいる時間が少なく、外に出る習慣がある人であれば、家から出られなくなればストレスはたまるに違いない。
人間にとって大切な“習慣”を不可抗力によって歪められるとしたら、精神的なバランスが崩れても無理はないからだ。国内外で家庭内暴力(DV)が増えているというエピソードが、その恐ろしさを言い表している。
そんなわけで現在の世の中には、東日本大震災後のそれとはまた違った、もやっとした閉塞感が漂っているようにも思える。
だが幸いなことに、人はなにかが起きたとき、「自分にできる範囲で、できることをしよう」と考えられるものでもある。
たとえば今回それを強く感じたのは、有名無名を問わず、国内外の多くのDJが、自宅でくつろいでもらおうという思いからDJプレイの配信を積極的に行なっていることだ。
また同じように、スタジオライブなどを配信しているミュージシャンも少なくない。
誰かに指示されたわけではなく、それぞれの意思によるものである。もちろん、お金を得ることが目的ではない。少なくとも私は今回、お金を稼ぐために配信しているDJやミュージシャンを見たことがない。
つまり彼らは、「自分はDJだから、DJとしてできることをしよう」「ミュージシャンだから、歌を歌って演奏をしよう」と考えて配信をしているのである。私も何人かのプレイをチェックしたが、“音楽好き”としての純粋な思いが伝わってきて、とても心地よい時間を過ごせた。
「音楽になにができるか?」「音楽で世界を変えられるか?」というような論争は、かなり昔からあった。個人的には音楽で世界を変えられるとは思っていないが、しかし、人の心に癒しや勇気を与えることはできるだろう。
いま世界のいたるところで音楽家(ミュージシャンやDJなど)が「自分にできること」を行なっていることは、そういう意味でとても有意義だと感じる。
星野源「うちで踊ろう」もまた、ひとりの表現者としての彼の純粋な思いが生み出したものだ。アコースティック・ギター1本で録ったシンプルな楽曲をInstagramにアップし、そこに「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」というメッセージを添えたアイデアは、「自分にできること」の最良の形だ。
なぜなら彼はここで、不特定多数の人々との“コラボレーション”を成し遂げたからである。あるいは成し遂げようと試みたからである。“感覚”によって人と人とがつながれるわけで、しかもその行為自体がきわめてクリエイティブだ。
1980年代の初めごろ、表参道の裏手にあったギャラリーになんとなく入ってみたら、思いもかけず自分自身が“作品”になってしまったことがあった。なんのことはない。名前すら憶えていないそのアーティストは、「ギャラリー内にいる人、入ってきた人すべてが作品」になるというインスタレーションを行なっていたのである。
当時の私は、そのことにいたく感動し、共鳴したのだが、今回の星野源の取り組みにも似たニュアンスを感じた。制限があってもアイデア次第でなにかを生み出せるという事実を、あのときのアーティストも今回の星野源も、同じように証明してみせたからである。
とはいえ、たままた足を踏み入れた人が作品になってしまうインスタレーションとは違って、「うちで踊ろう」の場合は、参加者に求められるべき大切なものがある。
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