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期待の小説家・早助よう子『ジョン』の、ささやかでたしかな達成

私家版で出版した初の作品集が話題に

渡部朝香 出版社社員

 2019年の夏に発売されて以来、静かに熱い注目を集めている本がある。

 小説家・早助(はやすけ)よう子の初の著書、『ジョン』

 文芸誌などに掲載された7篇と書き下ろし2篇で構成された、短編小説集だ。

早助(はやすけ)よう子の初の著書、『ジョン』早助よう子『ジョン』=筆者提供
 反響がひそやかなのには理由がある。編集から営業まで早助さんが自分で手がけた私家版のため、取り扱っている書店が限られてしまうのだ。

 だが、目利きの書店員たちは、この本を放っておかなかった。品揃えで名を知られるいくつもの書店が、SNSやウェブサイトで『ジョン』を仕入れたことを報告し、その魅力を言葉にした。

 10月には、書評家・ライターの倉本さおりさんが『文藝』の連載で早助作品のユニークさを力説。本書はさらに関心を呼ぶ。

 「ああっ、もう早く実物を手にとってページをめくってほしい。そこに並んだ文字列の奔放すぎる跳躍力と、着地点でふっとたちのぼるイメージのなまなましさに翻弄されるから」(『文藝』2019年冬号「はばたけ!くらもと偏愛編集室」第3回)

 そして、今年の2月には、40の書店が集まって開催された「二子玉川 本屋博」の一環として、倉本さんと書店員による「早助よう子作品の魅力を語る」というイベントが開催されるまでに至った。

早助よう子大好き書店員

 イベントに登壇したのは、倉本さおりさんのほか、toi booksの磯上竜也さん、三省堂書店成城店の大塚真祐子さん、BOOKS青いカバの小国貴司さんの3人。 

『monkey business』2011年冬号(ヴィレッジブックス)デビュー作「ジョン」が掲載された『monkey business』2011年冬号(ヴィレッジブックス)=筆者提供
 磯上さんは、書名となったデビュー作「ジョン」が、『monkey business』2011年冬号(ヴィレッジブックス)に掲載されたときからの、筋金入りの早助よう子ファンだ。長年、早助作品の書籍化を待望していたところに、H.A.Bのツイートで『ジョン』の刊行を知り、すぐに問い合わせて店に置いた。

 『本の雑誌』に「新刊めったくたガイド」の連載を持ち、文芸誌にも目配りしている大塚さんは、2016年、『文藝』(春季号)に「おおかみ」という作品が掲載された際に、早助よう子の名に目を留めた。似たものがない作風に、どういうルーツで小説を書くことにたどり着いた作家なのだろうと不思議な魅力を覚えたという。

 小国さんと早助作品との出会いは、新しい。小国さんが不在の折に、早助さんが青いカバへ営業に行き、手紙と見本を置いていった。自作の本を店で扱ってほしいという相談は頻繁にあり、すべてに目を通すことは困難だ。でも、『ジョン』は本として、私家版とは思えぬクオリティだった。「手にして、まず自分が読みたいと思いました。読んでみて、これは売りたいと思いました。幸福なかたちの本との出会いでした」。『ジョン』を応援する小国さんは、「早助よう子さん栗原康さんと、公園で『ジョン』をよむ」という野外読書会も企画した。

予想を軽やかに裏切る作品世界

 倉本さおりさん曰く、「入り口からは、その先の世界が想像できない」早助作品。小説の本文と、倉本さんと3人の書店員さんのコメントを借りて、『ジョン』の世界の一端を紹介したい。

   一、 図書館にはアルバイト、ボランティア、中学生、ゾンビがいる
 二番目に中学生がきた。大学図書館に職場体験にきたのだ。お互いがお互いによく似た三人で、肉付きのいい丸顔、額にぶつぶつをこしらえ三日月のように細い目をしている。制服のスカート丈はやぼったく、長く、髪の毛は二つに分けて耳の下でゴムでくくっている。まるで全アジアのティーンエイジャーのイデアみたいな子たちだとわたしたちは思う。(「図書館ゾンビ」書き出し)

 常連利用者として、ゾンビが平然とやってくる図書館。「奇抜な設定だけど、妙に腑に落ちる所がある」「笑っていいのかどうかわからないような逞しいユーモア」(磯上)

 カードの明細書、たばこの吸い差しが一杯詰まった灰皿、アルバイト情報誌、二日前のコーヒー、食べかけのバームクーヘン、テレビのリモコン、電話番号の書いてあるメモ、小銭、等々。奥の狭いキッチンには若い男が一人いて、流し台の上にかがみ込み、ノートパソコンを逆さに持って慎重に下ろしている。艶消しのアルミの蓋で、柔らかいチョコレートケーキを切ろうというのだ。それは、四十になるわたしのバースデーケーキだった。さっき部屋を暗くして、ロウソクも吹き消した。わたしはソファーの背に腕を這わせて伸び上がると、奥に居る男に声をかけた。「冷えるね――」(「おおかみ」冒頭より)

 なんの状況説明もないままに物語ははじまり、場末の風俗業界の世界が描かれるかと思いきや、読者は予想外のところへと連れていかれる。「“『冷えるね』じゃないよ!”という前のめりなツッコミなしに読めない」「自明だと思っていた叙述のお約束が裏切られていくスリルがある。とにかく読んで!」(倉本)。

 外出していた服そのままの姿で自室のベッドに横たわり、疲れた目に目薬を差した。目をつぶってお腹の上で両手を組み、夕食の前の短い眠りが訪れるのを待った。ひんやりしたまどろみのなかで夢を見た。わたしとわたしが一緒に湾岸道路を歩いている。(「アンナ」書き出し)

 アンナは主人公が通う恋愛セミナーの講師で、元は男性だ。「アンナの半生が物語られるなかで、誰のものでもない場所で違う自分になるきっかけをつかむ、美しいシーンがあるんです。その描写が普通の作家では書けない書きっぷり」「何を書くかも大事だけれど、早助さんの小説は何を書くかと同じくらい、どう書くかが意識されている。何を書くかとどう書くかが、いいバランスで成り立っている、危うい小説世界」(小国)。

「二子玉川 本屋博」の一環として、倉本さんと書店員による「早助よう子作品の魅力を語る」というイベント「二子玉川 本屋博」のイベント「早助よう子作品の魅力を語る」。中央が早助よう子さん=2020年2月1日、筆者提供

 収録作のうち、放射能汚染を恐れる母親が登場する「家出」は、日本文藝家協会が編む傑作短編小説のアンソロジー『文学2013』(講談社)にも収録された。やはり原発事故後を舞台とした「エリちゃんの物理」、野宿者を描いた「ジョン」など、同時代の社会的な背景を踏まえた作品であっても、早助よう子の小説は単線的に社会や政治への批判に向かうことはない。ふんだんな余白が、読者の思い込みを揺さぶり、読者に思考をゆだねる。倉本さんは言う、「政治にとって一番大切なのは、答えを出すことそれ自体ではなく、その後も考えつづけること。だからこそ、早助さんの小説は、いま読まれる価値があると思うんです」。

早助よう子本人に聞いてみた

 倉本さんと書店員3人によるイベントの後半には、早助よう子さん本人もスペシャルゲストとして登壇し、『ジョン』の成り立ちについて語った。

 後日、早助さんにお会いし、さらにお話をうかがってみた。

 早助よう子さんは、1982年生まれ。文芸サークルに所属して小説を書いていた大学生のころから、小説家になりたいという願いをほのかに抱いていた。ただそれは、不況のまっただなか、就職したくない気持ちがまさってのことでもあった。

 卒業後、大学図書館でアルバイトをした。勤務の合間に手にした書庫の本から気に入ったフレーズを書き止め、長距離通勤の車中では図書館で借りた本を読んだ。『ジョン』に収録された前半の作品には、そうして読んだ、グレイス・ペリー、ケリー・リンクといった現代アメリカ小説の影響があるという。

 本屋にも、よく行っていた。デザインに惹かれて手にとった『monkey business』で、小説の投稿を募る告知を目にする。

 「変わった募集で、4月生まれの原稿募集だったか、4月から6月生まれの原稿募集だったか……そんなヘンな募集だったんです(笑)。これは張り合いができるなって、書いて清書して送りました」

 それが、山谷でつくったビラの文章をもとにした「ジョン」だった。

 だが、採用の可否の連絡はなかった。

早助よう子さん近影=本人提供早助よう子さん近影=本人提供

デビュー、そして中篇の壁

 1年半ほどが経ち、投稿のことなど忘れていたころに、知らない電話番号から何度も電話がかかってきた。間違い電話かと思い出ると、『monkey business』編集部からの電話だった。そして、責任編集を担う米文学者・翻訳家の柴田元幸さんに会い、「ジョン」の掲載が決まる。

 連絡に時間がかかったのは、かなりたくさんの応募があり、多忙な柴田さんが目を通すのに日数を要したためだった。応募が多かったのは、短編小説の公募が稀なことも理由だろう。芥川賞は原稿用紙にして100枚から200枚程度の作品が対象となるので、駆け出しの小説家は中篇の分量の作品を書くことを求められる。短篇を発表できる機会は少ない。

 『monkey business』でデビューした早助さんには、出版社の編集者から依頼が来るようになったが、やはり100枚以上というハードルを課せられた。ところが早助さんは、それだけの分量を書こうとすると、どうにも息切れをしてしまう。何本かは書いて掲載もされたが、出版社からの連絡も間遠になった。

 暇だし自分で本でもつくってみようかと思いついたのが、作品集の出版だった。

私家版としてつくり、自分で売る

 短編だけ集め、発表順に並べた7編。最初は文字組も自分でインデザインを使ってレイアウトしていたが、デザイナーの友人が引き受けてくれることになった。装画も友人がケシの花を描いてくれた。つきあいのあった社会運動系の印刷物を手がける印刷所に相談し、一つひとつ教えてもらいながら本づくりを進めた。

 帯には、デビューでお世話になった柴田元幸さんからの推薦コメントが掲載されている。柴田さんはコメントを執筆してくれただけでなく、本文に目を通して、校正上の指摘までしてくれたそうだ。

 久禮亮太さんの『スリップの技法』を読んでスリップを手作りするなど、独学で試行錯誤し、友情や信頼関係に支えられ、どうにか一冊の本、『ジョン』ができたのが、2019年の6月のことだった。

 それからは本を手に書店営業にまわった。行った先の書店で、納品書、領収書、取引開始書など、必要な書類を教えてもらったり、訪ねたほうがいいべつの書店を教えてもらったりした。書店員の方々の謙虚さや親切さがとても嬉しく、書店が薄利な仕事であることには驚いた。

 「大変じゃなかったですか?」と尋ねると、早助さんは、こう答えた。

 「ずっと小説を書いているより、よかったです。リハビリになったというか……。ヴァージニア・ウルフが精神的に追い込まれたときに、手作業をしたほうがいいんじゃないかと、夫が(出版社の)ホガース・プレスを立ち上げ、小包をつくって書店に送ったりして、よくなっていったという、そのエピソードを思い出しました」。

 早助さんの手もとにある分は完売し、書店の店頭在庫のみとなった。もう売り切っているお店も多い。残りもわずかなので、書店の店頭で見つけたときが買い時だ。

 差し引きした結果、どうにか赤字にならずに済みそうだというのは喜ばしい。

 最近、早助よう子の名を文芸誌の書評欄で目にする機会が増えてきた。『ジョン』をきっかけに依頼が増え、小説の新作の相談も進んでいるという。

 出版社から本を出せそうにはない。自分でつくるしかない。そう思い定め、周囲の人の応援によって生まれた私家版の小説集が、その魅力から支持の輪を広げ、次へのステップボードとなった。『ジョン』に収録された作品だけでなく、『ジョン』という本が生まれて読まれるまでの物語も、出版の世界でのひそやかな事件だったのではないだろうか。その事件は、書くこと、それを本にして届けるということの、原点を思い出させてくれるものだった。

※このインタビューを終えたあと、『ジョン』の重版が決まったそうです! 取り扱いを希望される書店さんは、特設サイトからご連絡を。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。