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「コロナ風俗嬢」発言の岡村隆史氏に、正しい“謝罪”と責任を取る機会を

望まぬセックスワーカー問題の解決の旗振り役になって欲しい

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

 お笑い芸人の岡村隆史氏が、ラジオ番組「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」(2020年4月23日放送)で、以下のような発言をし、大きな批判が起こりました。

 「コロナが収束したら、もの凄く絶対おもしろいことある(中略)苦しい状態がずっと続きますから(中略)美人さんがお嬢やります(中略)稼がないと苦しいですから(中略)だから今、我慢しましょう」

 まるで女性の貧困化を期待し、望まずしてセックスワーカーになった女性への性的搾取を扇動するような発言であり、批判が殺到したのは当然です。この発言の何が問題かは、藤田孝典氏をはじめ、多くの論者が適切な批判を加えているため、ここでは岡村氏の「謝罪」と「責任」について指摘をしたいと思います。

「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)の公式サイトより

「謝ること」と「謝罪」は似て非なるもの

 確かに、岡村氏は4月30日深夜の番組で時間をかけて反省を述べており、誠意を見せようという意図は伝わりました。ですが、「不快感を与えて申し訳ございません」「失礼な発言でした」というありがちな言葉が目立ちます。残念ながら、これでは「謝罪」とは言えません。

 たとえば、人から殴られた時、「あなたに痛みを与えたことについて心からお詫びします」と謝られたら、違和感を覚えないでしょうか? 「痛み云々の前に、殴ったこと自体を謝ってほしい」と思う人も多いはずです。

 謝罪とは文字通り、己の罪を謝ることであり、この例での罪はもちろん「殴った」という行為です。痛みを感じなくとも、恐怖を感じることもあるのですから、行為自体を問題視しなければなりません。

 ところが、上記のような謝り方は、殴ったという自身の罪には言及していません。ですので、形式上謝ってはいるものの、謝罪になっていないのです。3年半前の記事でも紹介した「Non-apology apology」の典型です。


岡村氏は自分の「罪」を理解しているのか

 同様に、「不快にさせて申し訳ございません」という謝り方も、「Non-apology apology」です。今回の岡村氏の「罪」は、繰り返しになりますが、女性の貧困化を期待する発言、望まずしてセックスワーカーになった女性への性的搾取を扇動するような発言、この2点にあると思います。

 ところが、2時間の番組を聞いても、「理解や想像力を欠く発言」と言い表してはいたものの、それらの「罪」については明確な言及がありませんでした。番組に飛び入りしたナイナイの相方である矢部浩之氏が「男尊女卑」「女性軽視」というワードを発した場面はありましたが、岡村氏の口から、自分の発言がそれにあたると認めた言葉はなかったのです。

 「甘えだ」「情けないです」「自分の至らなさ」等の自責の言葉が多く、自分のした罪が何だったのかをしっかりと認識できていないという印象です。この点を改めなければ、謝罪を要求する声が収まることはないでしょう。

岡村氏主演のNHK教養番組の降板署名は妥当か

 ただし、仮にしっかりと謝罪をしても、それで済む話ではありません。著名人や大企業の経営者のような影響力のある人物が、少数派や社会的弱者に対して差別したり中傷したりする発言をすれば、謝罪だけではそれらが社会で拡大することに歯止めがかからないからです。そのため、何らかの責任を取ることで、マイナスの影響を最小限に食い止めるエコシステムが機能することが不可欠です。

 どの程度の責任を取るべきかは、人により意見が分かれるところでしょう。たとえば、一般社団法人Voice Up Japanは、岡村氏が出演する教養バラエティー番組「チコちゃんに叱られる!」(NHK)の降板及び謝罪を求める署名活動を立ち上げて、既に1万4000人(5月5日現在)以上が署名しています。

「チコちゃんに叱られる!」のチコちゃんと岡村隆史さん=NHK提供「チコちゃんに叱られる!」のチコちゃんと岡村隆史さん=NHK提供

 それに対して、「私刑だ」「やり過ぎだ」「すでに謝っているじゃないか」という否定的な声がネット上で噴出しています。確かに

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