府中市美術館「ふつうの系譜」展から
2020年05月06日
どこにも出かけられない日々に、閉まっている美術館から「きれいな絵」を紹介するシリーズの6回目です。今回は文学を主題にした3作をとりあげます。作品は府中市美術館(閉館中)の「ふつうの系譜」展から、〈 〉は学芸員、金子信久さんの解説です。
初めは「伊勢物語」。在原業平を思わせる主人公の一行が東国に下り、川のほとりで都をしのぶ、おなじみの場面です。「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という和歌も有名ですね。
〈「伊勢物語」を題材にした絵はたくさんあり、典雅さが共通しています。これも、もちろんその特徴を備えている美しい作品です。でも、他にはない個性があります。それは人物がみな、頭の大きさに比べて背丈が低い子供のような姿で描かれていることです。扇で鳥を指している薄緑の着物の主人公を含め、大人の男性が全員、「ちびっこ」に見えます。それがかわいらしく、ユーモラスな雰囲気を醸し出しています〉
現代でも、アニメのキャラクターなどの顔を大きくし、上下につぶしたような体形でかわいく表現する手法があります。
〈そう、そんな感じですね〉
作者の浮田一蕙(うきた・いっけい、1795~1859)は、こういう手法をよく使ったのですか。
〈いえ、この作品に限っての特徴です。「やまと絵」のやさしさ、やわらかさを追求していった結果の、一つの形ではないかと思います。私は、江戸絵画の「かわいい」を大事にする感性に注目しているので、この作品には特に興味をひかれます〉
浮田一蕙とは、どんな人物ですか。
〈京生まれで、「復古やまと絵」の画家の一人として知られています〉
日本の風景や物語、花鳥風月などを描く「やまと絵」を復古? 江戸時代も「やまと絵」は廃れていたわけではないですよね。
〈江戸中~後期に、平安から鎌倉時代に描かれた「やまと絵」を復活させようとした絵師たちがいました。もちろん宮廷の公式絵師集団である土佐派でも、「やまと絵」の伝統は受け継がれていましたが、並行して中国の影響を受けた精密な描写なども追求されていったため、初期の「やまと絵」が持っていたふくよかさ、やわらかさ、豊潤な色彩感覚などは、じょじょに薄れてきました。それに対し、かつての「やまと絵」に立ち返ろうと考えた人たちの作品を、近代以降の美術史では「復古やまと絵」と呼んでいます〉
一種の芸術運動だったのですね。
〈彼らは絵巻物を模写するなどして、古い時代の絵を熱心に学んでいます。その時代には失われてしまった美を、はるか遠い時代に求める発想は、当時、斬新なものだったと思います。日本固有の精神や文化を探究しようという古典研究である「国学」の影響も大きかったと考えられています。浮田一蕙は、尊皇思想を持っていて、ペリー来航の際の幕府の姿勢を批判し、「安政の大獄」で捕らえられ、江戸に送られました。釈放されて間もなく病死しています〉
絵の見た目はやわらかですが、実は強固な思想を反映しているのでしょうか。
〈そもそもは、古い「やまと絵」が持つ美しさに学び、再生しようという気持ちが第一だったのだろうと思います。でも、当然ですが、絵師たちは、生きている時代の社会や思想の影響を受けています。ただ、絵を見る時に、初めからあまりそういう角度を付けて向き合うのは、どうでしょうか。まずは色彩の豊かさ、造形のおおらかさなど、描かれた美を楽しむところから入っていいのではないかと思います〉
同じく浮田一蕙が「徒然草」の四十三段を描いています。
晩春の頃、品の良い家をのぞくと、二十歳くらいの美しい青年がくつろいだ様子で本を読んでいた、どんな人だったのだろうか――という吉田兼好のスケッチのような文章がそのまま絵になっていますね。ちょっとメランコリックな感じもします。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください