メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

吉本的なるものを離れて

 第2号は、1969年2月20日発行と奥付にある。東大安田講堂攻防戦の前に校了になったと見え、「編集後記」にそのことは記されていない。執筆陣はいずれも意気軒高である。小野田は「社会主義社会論の一考察――等量労働交換について」と題した論考で、いまだ実現されていない仮想社会の経済モデルを論じてみせた。また重尾隆四は「吉本隆明試論」(公的媒体に発表された最初期の吉本論)の連載を開始している。

 第3号は、1969年7月20日発行。取り巻く情勢は明らかに後退局面に入っていた。小野田は「情況の重さと私たちが行おうとすることの途方もない困難を前にして、投げ出したくなる気持ちにふと襲われる」と「編集後記」に記している。彼が寄せた論考は「黒田寛一の闘いと敗北(一)――戦後日本マルクス主義論」である。吉本ではなく、かつての師・黒田の再検討が始まっている。

 第4号は、1970年5月15日発行。それまで編集委員/寄稿者たちが署名入りで書いていた「編集後記」がこの号にはない。理由は不明である。

 そして第5号は、2年間をおいて1972年11月10日に発行された。この間三島由紀夫の割腹自殺があり、赤軍派のハイジャックや武装闘争があり、連合赤軍のあさま山荘攻防戦と私刑殺人事件があった。

『遠くまで行くんだ』第5号=筆者提供拡大『遠くまで行くんだ』第5号=筆者提供
『遠くまで行くんだ』第5号=筆者提供拡大第5号の目次=筆者提供

『遠くまで行くんだ』第5号拡大小野田襄二「政治における極北の論理――再出発への宣言」(『遠くまで行くんだ』第5号)=筆者提供
 小野田は巻頭論文として「政治における極北の論理――再出発への宣言」を書いた。むろん連合赤軍の事件を採り上げている。そしてこの論考は吉本隆明への痛烈な批判を含んでおり、
・・・ログインして読む
(残り:約3107文字/本文:約5235文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

菊地史彦の記事

もっと見る