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編集者の緊急事態日記――不安、焦燥、救われた言葉、ときどき『ペスト』

小木田順子 編集者・幻冬舎

 まさか世界中がこんな深刻な事態になるとは……と驚き続けた今年の春。少しでも自分の気持ちの整理になればと思い、緊急事態宣言発出の日から、日記をつけはじめました。いつもは本にまつわるあれこれを綴っているこの連載。今回は一編集者の非日常な1カ月の記録をそのまま書かせていただきました。

■4月7日(火)
 東京ほか7都府県に緊急事態宣言が発出された。発効は明日から。

 安倍首相の記者会見を19時からテレビで観る。明晰さに舌を巻くことも、情で心をつき動かされることもなく、言葉が上滑りしているように思えてならない。「世界最大級の支援」とか、「史上初めての給付」とか、どうしてそういう自慢ワードを随所に挟むんだろう。

 期間は5月6日まで。それまでにはさすがに事態は収束に向かっているだろう――私を含めて多くの人がそう思っている。だが、1月も2月も3月も、楽観的な見通しがことごとく覆されて、こんなところまで来てしまった。

■4月8日(水) 緊急事態宣言1日目
 午後から出社。編集部のフロアには十数名が出勤。けっこう多い。

 3月30日から、会社は原則的に在宅勤務になっている。だが、編集管理スタッフは毎日交代で出社。電話対応や、郵便物・宅配便・バイク便の受け渡しなどやってくれるので、編集者は在宅で仕事ができる。感謝。

 営業局から書店の休業状況の連絡が来る。大型店は軒並み全面休業、もしくは平日のみ短縮営業とのこと。東京都が示していた休業要請先に書店は入っていなかったので一縷の望みを抱いていたけれど、想像をはるかに超えてお店が閉まることに呆然とする。

緊急事態宣言を受け、多くの書店が休業や短縮営業に追い込まれた=Ned Snowman/Shutterstock.com緊急事態宣言を受け、多くの書店が休業や短縮営業に追い込まれた=Ned Snowman/Shutterstock.com

 出社したのは、朝日新聞取材班による『ゴーンショック 日産カルロス・ゴーン事件の真相』という単行本の再校校正が上がり、最終確認用に各執筆者に送るため。

 発売予定は4月30日。書店が開いていないときに出してどうするんだ?と悶々とするが、赤字を整理し、人数分のコピーをつくり、翌朝のバイク便の予約をし……と作業していたら、帰りが終電ぎりぎりになる。

 会社から代々木駅に向かう帰り道、明治通りを走っているのは空車のタクシーだけなのが切ない。

■4月10日(金) 緊急事態宣言3日目
 夜、自社で主催している國分功一郎さんの連続講座「ハンナ・アレントと哲学」の最終回があるため出社。もともとリアルでの開催を予定していたところを、急遽Zoomでの開催に変更。

 ソクラテスからカントを経てハイデッガーまで。哲学の歴史をたどりながら、國分さんがアレントについて抱いた問いの謎解きをしていった全4回。はじめのうちは集中するのが難しいと思ったけれど、途中からオンラインであることも気にならなくなり、終わってみればあっという間の3時間近く。

 その間はコロナのこともすっかり忘れていた。國分さんが尊敬するドイツ語学者・関口存男氏の「世間が面白くない時は勉強にかぎる。失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ」の言葉を思い出した。

■4月11日(土) 緊急事態宣言4日目
 昼前から夜まで『ゴーンショック』の責了紙づくり。こういうゲラ作業は大好き。

途方に暮れる日々に、企画が前に進んで

■4月13日(月) 緊急事態宣言6日目
 終日在宅勤務。

 『ゴーンショック』の発売を4月末から5月13日に延期、5月28日発売の新書はひとまず予定通り刊行と会社から連絡がある。

 4月刊、5月刊は、刊行を延ばしたり初版部数を減らしたりしている社が多いとのこと。リアルの書店が閉まっているだけでなく、ネット書店も物流は生活必需品が優先で、品切れのまま在庫が補充されない本が増えている。どこの社も、先が見えないなかで決めていかなくてはならない。

■4月14日(火) 緊急事態宣言7日目
 終日在宅勤務。

 夜は、自社主催で、調達コンサルタントの坂口孝則さんをホストにした初のZoom読書会。課題図書はカミュの『ペスト』(新潮文庫)。開始に間に合うように、駆け込みで読了する。

 カミュは、戦争の不条理をペストに託してこの作品を書いたという。だが、いま世界中の人が、そのまま「伝染病の話」としてこの本を読み、いまを予言しているかのような描写に驚いている。カミュはそんな読まれ方をすると想像しただろうか。

 いろいろあるなかで、心に残った描写のひとつは、以下のくだり。

 〈天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、そしてそれが長く続くというそのことからして、大きな災禍は単調なものだからである。みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである〉(新潮文庫、P265)

 北大の西浦博教授は「今までの生活が返ってくるかどうか。その保証はすぐ近くの未来、1年以内にはありません」と言っている(4月11日NHKスペシャル)。最初にそれを聞いたときはショックだったけれど、感染爆発が食い止められて緊急事態宣言が解除されたとしても、これまでの日常が戻ってくるわけではないことを、私も諦めて受け入れはじめている。『ペスト』の舞台、オランの街の人たちに思いをはせる。

古書店が集まる東京・神保町でも休業する店が目立った=2020年4月15日古書店が集まる東京・神保町でも休業する店が目立った=2020年4月15日

■4月16日(木) 緊急事態宣言発令9日目
 緊急事態宣言の対象都道府県が全国に拡大。安倍首相が、所得制限なしで国民一人あたりに10万円給付することも表明。これでまた休業する書店が増える。

 書店は、東京都の休業要請業種には入っていない。独立系の小さな書店など、営業を続けているお店はいつもよりお客さんが多いそうだ。緊急事態宣言が出ている間でも、営業を再開してくれる書店は出てこないだろうか。

 といっても、書店で働く人も、取次で働く人も、トラックで運ぶ人も、みな感染は怖い。自分は在宅で働きながら、書店には通常営業してほしいと思うのは、ムシがよすぎる話。

■4月18日(土) 緊急事態宣言11日目
 新型コロナ関係の新書を書いてほしくて、初めて連絡をした執筆者から「いいですね。やりましょう」という返事をいただく。忙しいし、他社からもう話が行っているだろうからダメ元でと思っての依頼だったので、嬉しい。

 感染の拡大状況も経済状況も日々様相が変わり、どんなテーマをどんなタイムスパンで切り取って企画を立てたらいいのか分からない。緊急発刊をと思っても、書店が開いていないんだったらと挫ける。そんなふうに焦りつつ途方に暮れる日々だったので、企画が前に進むことはとても嬉しい。ささやかだけれど、自分がすべきこと・自分にできることをしている手ごたえがある。

自分がすべきこと・できること

■4月21日(火) 緊急事態宣言14日目
 緊急事態宣言が発出されて2週間。ピークアウトの気配なし。これは延期だな。

NHK『100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』。左が中条省平さん=NHKオンデマンドのサイトよりNHK『100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』。左が中条省平さん=NHKオンデマンドのサイトより
 カミュ『ペスト』への理解を深めたくて、中条省平さんの『100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』(NHKテキスト、2018年6月)を読む。NHKオンデマンドで、全4回の放送も観る。カミュについては、『異邦人』の「きょう、ママンが死んだ」以外は何も知らなかったので、とても勉強になり、おもしろい。

 テキストでとくに心に残ったのは以下のくだり。

 〈『ペスト』はけっして勇敢さの美談ではないし、特別に強い精神をもった主人公による美しいヒロイズムの物語ではない(中略)これはむしろアンチ・ヒューマニズム、アンチ・ヒロイズムの小説であって、英雄主義に対する懐疑は随所で言及されています〉

 新型コロナウイルスの感染患者を受け入れている病院では、病床も人工呼吸器も防護服もマスクも数が足りなくて逼迫するなか、医療従事者のみなさんが懸命に仕事にあたっている。

 それは本当にありがたく尊いことで、どんなに拍手をしてもしたりない。だけれど、今回の感染が収束したとき、医療従事者の犠牲の上に助かる命があったことを、美談として消費してはいけない。ヒーローに頼らずに事態に対処できる社会でなくてはいけないと思うのだ。

■4月22日(水) 緊急事態宣言15日目
 内田樹さんが、雑誌「月刊日本」で受けたロングインタビュー「コロナ後の世界」をブログで公開。世界はいま「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点に立っているという。それは、迂遠な国際政治の話ではない。日頃から民主主義者を標榜し、国家による権力行使はきわめて抑制的であるべきだと言いながら、今回は、「早く緊急事態宣言を出してほしい」と求めてしまった私自身に突きつけられた問いだ。

 アフターコロナの世界について漠然と危惧していたことを内田さんが全部整理して述べてくれて、暗澹とはするが視界が開けた。

「書店が開いていない」無念と、見本ができた喜びと

■4月26日(日) 緊急事態宣言19日目
 朝日新聞への藤原辰史さんの寄稿「人文知を軽んじた失政」に感銘を受ける。ウェブサイト「B面の岩波新書」への寄稿「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」に続く2度目の感動。歴史に学ぶためには、人はなんと冷酷でなくてはならないんだろう。

 朝日への寄稿で我田引水的に心に残ったのは以下のくだり。

 〈ルイとその取り巻きが「役に立たない」と軽視し、「経済成長に貢献せよ」と圧力をかけてきた人文学の言葉や想像力が、人びとの思考の糧になっていることを最近強く感じる〉

 アフターコロナの新しい日常下で、どう本をつくって売り、どう暮らしを回すのか。家にこもりながらずっと不安と焦燥に駆られているが、その人文学の末席の末席につらなる本をつくりたい、それが自分がすべきこと・できることだとあらためて思う。

 『ペスト』にも主人公リウーのこんな言葉があった。

 〈今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです〉
 〈僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています〉(新潮文庫、P245)

■4月30日(木) 緊急事態宣言23日目
 『ゴーンショック』の見本ができる日なので出社。代々木駅近くのタピオカ屋では、店頭でマスクを売っていた。

 『ゴーンショック』は、ゴーン逮捕の2日後に始まった朝日新聞の同名の連載に大幅加筆し、書き下ろしも加えたもの。今年4月に予定されていたゴーンの初公判に合わせて刊行するはずだった。

 それが、昨年12月のIR汚職事件で執筆の中心メンバーである社会部司法担当記者が本を書いているどころではなくなり、年末にはなんとゴーンが国外逃亡。もう刊行は無理かと思ったときもあったが、執筆陣の奮闘で、あらたに「逃亡編」を加えて、ゴーン側近のケリー元日産代表取締役の初公判のタイミングに合わせての刊行にこぎつけた……と思ったら、今度はコロナショック。ケリー裁判も予定立たず。

 担当した本の見本ができるといつも嬉しいけれど、今回は度重なるショックを乗り越えての見本なのでとくに感無量。今日は見本ができた喜びに浸って、「せっかく本ができても、書店が開いていない」無念さは忘れることにする。

■5月4日(月) 緊急事態宣言27日目
 緊急事態宣言が5月31日まで延長されることが正式に決まり、夕方、首相が記者会見。延長を決めたのは「断腸の思い」と言うが、どうしても空々しく聞こえる。「日本は欧米のような感染爆発には至っていない」「日本は欧米のような強制的な外出制限はしていない」といった、「日本すごい」的な自慢フレーズが、今回も端々に登場する。

 「1カ月で終えることができず、国民におわびする」と謝られることにも違和感がある。日本に暮らしている人全員が当事者で、全員が感染拡大を止める責任を負っているわけで、別に首相に頼まれたから外出を自粛しているんじゃない。責任を負うというパフォーマンスで悲劇のヒーローぶらないでほしい……とひねくれてしまうのは、自粛のストレスなのか性格なのか。

安倍晋三首相が緊急事態宣言の延長を発表した5月4日の東京・新宿安倍晋三首相が緊急事態宣言の延長を発表した5月4日の東京・新宿

「本は生活必需品であり、早期の営業再開を望む」

■5月6日(水) 緊急事態宣言29日目
 全国の感染者数が4月以降で最少と報じられる。

 中条省平さんが弊社のサイトで以前に紹介していたマンガ『リウーを待ちながら』(朱戸アオ、講談社)全3巻を読む。現代の日本でペストが感染しはじめるというアウトブレイクもの。主人公の女性医師を中心に、個性豊かなキャラクターが配されてそれぞれのドラマを繰り広げるところが、『ペスト』を思わせる。

 小説も映画も、生々しいアウトブレイクものは、読んでも観ても辛いので手が伸びずにいた。この作品はすんなり読了でき、ラストシーンでは涙活的に心地よく泣けたのは、おどろおどろしくないスマートな絵柄と、感染者数が減りつつあることへの安堵からかもしれない。

■5月7日(木) 緊急事態宣言30日目
 緊急事態宣言延長初日。GW明けだからというわけではないが、もろもろ用事があって出社。11時前の中央線はけっこう人が多い。

 用事が済んだ後も、そのまま会社で原稿読み。とある障害者殺人事件をテーマにしたノンフィクションで、今夏に刊行予定。コロナとは全く関係ない内容なのだが、読んでいて、ちょっと前の朝日新聞(4月30日)に若松英輔さんが寄稿(「自他の『弱さ』認める時」)していた一節を思い出した。

 〈危機は、これまで社会が、見て見ぬふりをしてきたものに起因する。見過ごしてきたもの、さらにいえば、ひた隠しにしてきた、その最たるもの、それが「弱さ」だ〉
 〈「いのち」とは、あらゆる社会的立場を超えて、人間の存在の平等を証明しているものにほかならない。「弱い人」は身体的生命とは異なる「いのち」という不可視な存在が社会を成り立たせていることを教えてくれているのである〉

 多くの書店が一部店舗で営業を再開した。

 〈休業中、数多くのお客様より「本は生活必需品であり、早期の営業再開を望む」旨、ご要望をいただきました〉というのは紀伊國屋書店のコメント。嬉しい。ジーンとする。

東京都は、書店を休業要請対象外の「社会生活を維持するうえで必要な施設」としている=MAHATHIR MOHD YASIN/Shutterstock.com東京都は、書店を「社会生活を維持するうえで必要な施設」としている=MAHATHIR MOHD YASIN/Shutterstock.com

 医療や介護の現場で奮闘されている方や休業を余儀なくされている方、仕事を失った方がたくさんいらっしゃるなかで、在宅勤務ができて一人モヤモヤしているなど、なんて恵まれているんだと思いながらの、緊急事態下1カ月でした。

 早く感染拡大が収束しますように。経済活動が再開しますように。十分な補償が、必要な方すべてにすみやかに届きますように。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。