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【3】パンデミックと教室

変わりゆくものと変わらずにいなければいけないものとの両極分化が加速されてゆく

小笠原博毅 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

 福嶋さま

 ご返信ありがとうございました。ジュンク堂難波店での3月6日のトーク(アーロン・ムーア『大東亜を建設する』刊行記念)のときはたしか、まだいわゆる「ロックダウン」状態には至っておらず、それこそ自粛ムードがじわじわ浸透していた頃だと思います。

 躊躇しませんでしたね、開催することに対して。すでに研究会や読書会なども含めて他の講演や催しは相次いで中止や延期になっていましたが、それらはほぼ全て会場や主催者から「開催してくれるな」という要請があったものでした。会場の責任者である福嶋さんから頼まれてもいないのに、こちらから延期や中止を申し出ようとは思いませんでした。

「本屋さんが開いていてよかった!」

拡大Phuong D. Nguyen / Shutterstock.com

 あたりまえに聞こえるかもしれませんが、書店トークは特定の本を読むことと切り離せません。刊行記念トークであればなおさらです。営業的な意味合いはもちろんですが、すでに読んでくれている読者が疑問や感想を披露し合ったり、本から広がる話題や情報を交換し合ったり、著者や紹介者に直接疑問をぶつけたり。参加者のそれぞれの本への向き合い方がとてもよくわかるし、こちらもさまざまな読み方や読書の仕方に気付かされる。

 「どんな本でも不要不急のものとは思えない」と福嶋さんはおっしゃられました。そのとおりです。それも、本当は外出したくはないかもしれないけれど「必要火急」と判断して本を買って行かれるお客さんを見ての言葉であることに、とても意味があるとも思いました。

 「本屋さんが開いていてよかった!」。

 きっと福嶋さんはそういうお客さんに出会われたのでしょうね。

 そもそも「不要不急」に基準はありません。一概に普遍的に当てはめられる考え方ではありません。それを一律に強制しようとする為政者の振る舞いは、通常ならば意見交換や調整や妥協を経て、例えば多数決によって決定される事柄を、そのような過程を省略して意思決定の結果だけを押し付ける「例外状態」を作り出すものだと言われることがあります。

 戦時期や大災害の直後、例えば東日本大震災後の混乱や、福島第一原発の爆発事故による放射能汚染によっていきあたりばったりの避難生活を強いられているような状態を考えてみて下さい。あの時、国家は機能していませんでしたよね。結局、国家なんて国民の安全は二の次で、権限委託の信頼に応えることなんてできない、「その程度」のものだということが顕になりました。

 もちろん、当事者にとって命を守ることは必要なことです。しかし、一方ではそのための手段が他の誰か(「その程度の」国家など)がこうしろと命じたことを守ることと同義になり、他方ではそうしなければいけないと自主的に規律化する世界(自粛)が常態化されてしまいます。

 こうした「例外状態の常態化」を、仮説、根拠、証拠を提示しあって交渉し決定するという政治の宙吊り、中断だと指摘する声も多々あります。政治が機能していない、ということですね。

 けれどもそれは、政治が民主主義(日本では代議制民主主義)の原理に基づいているという前提でないと成り立たない話です。そうではなく、別の政治の位相があります。むしろ国家という抽象的なものが具体的に見えるようになる、つまり普段見えていない、為政者が見せたくはない政治の様相が明らかになるというふうに考えられるのではないでしょうか。

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筆者

小笠原博毅

小笠原博毅(おがさわら・ひろき) 神戸大学大学院国際文化学研究科教授

1968年東京生まれ。専門はカルチュラル・スタディーズ。著書に『真実を語れ、そのまったき複雑性においてースチュアート・ホールの思考』、『セルティック・ファンダムーグラスゴーにおけるサッカー文化と人種』など。

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