玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師
横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
事故で世を去った玉川福太郎を思う(上)
緊急事態宣言下。相変わらず、公演はひとつもありません。
経済的には大変だけれど、こんなに時間があるときは、今までなかった。今こそ、たくさん本を読み、稽古をし、新作をつくり……と、思うのだけれど。目先に目標がないので、なかなかモチベーションが保てません。
つい、物思いにふけってしまいます。
風薫る五月。いい季節ですが、私にとっては切ない季節でもあります。
師匠・玉川福太郎に入門して、25年になります。入門して12年経ったとき、師匠が急逝しました。
2007年5月のこと。
あまりに急に亡くなったので、それはどこか私の傷になっているのでしょう。今まで、師匠の死については、ちゃんと書いてきませんでした。亡くなった当時のメモが、手元に残っているだけです。
いま、動きがない、動きようがない、こんなときだからこそ、覚えていることを、きちんと記録しておこうと思います。皆様に伝える、というより、自分自身のための記録として。だから、ですます調ではなく、覚書的な書き方になりますが、お許しください。
長いので、前・後編にしました。後編は次回、掲載させていただきます。
13年前。記憶を、時をさかのぼります。
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